ハチス 思い出話(25)

「こどもの日」のこと

昭和23年4月に行われた、福島市の第1回指導者講習会には、
私は残念ながら参加出来ませんでしたが、
その直後の8月に船引町で行われた第2回講習会には、参加できました。


そして、翌年の24年4月29日から5月1日までの3日間、
会津若松市の謹教小学校で実施された指導者講習会には、
スタッフの一員として参加しました。

この講習会には、日本連盟の三島通陽総長や、
今井襄二氏を講師としてお迎えし、90名もの受講者の参加があり、
県内はもちろん新潟県の柏崎、津川、長岡、
それから茨城県の高萩からの参加者があり、活発な研修が行われました。

またこのときは、県下スカウト交歓会も兼ねていたので、県内各地のスカウトも参加して、総数約200名の大講習会となりました。

講習会終了後の5月5日、新潟県の津川町でボーイスカウト懇談会が開催され、
三島通陽総長が出席され、講演をされました。

実は、この日は祝日法が制定されて、初めての「こどもの日」だったので、
三島先生は、ボーイスカウトの話のほかに、
「こどもの日」のことに触れられ、制定の経緯についてお話しされました。

5月5日は、男の子の節句だけれど、桃の節句の3月3日でなく、
なぜ5月5日になったのかという意見に対して、
「こどもたちが、外で、元気に活動するには、5月という季節が最適であり、
それに5月5日は、統計的に晴れの特異日なので、この日に決まりました」、
というお話しをされました。

平成29年10月20日
ハチス団委員 赤城良一