ハチス 思い出話(9)

初めての海外派遣

昭和33年12月から新年にかけて、東パキスタンで、ナショナル・ジャンボリーが開催されることになり、ハチスから、鈴木正顕君が参加することになりました。

日本から派遣されるのはスカウト1名、指導者も1名だけ、同行する指導者は東京連盟の水野という人でした。

ところが、この水野氏は欧州に出張中で、その帰国の途中に、直接パキスタンに入り、そこで鈴木君と合流するというのです。
つまり鈴木君は、一人でパキスタンに行くのです。

鈴木君は、このとき中学1年生で13歳、ご両親は心配でしたが、本人は至って意欲的で、単身で参加することになりました。

それまで、福島連盟からの海外派遣は、指導者1名だけありましたが、スカウトの海外派遣は、鈴木君が第1号だったのです。

団からの海外派遣は初めてのことで、私たちも準備で大忙しでした。
中学1年生の単独渡航というので、新聞、雑誌、ラジオのインタビューなどが相次ぎ、注目の的となりました。

パキスタンは、日本と生活習慣も違うので、食事やその他のマナーを身につけなければと、市内のレストランで、テーブルマナーの指導を兼ねた壮行会も実施しました。

さらに、会津若松市でも市議会議場で壮行会を、若松第三中学校でも、体育館で全校生徒による壮行会を実施しました。

12月18日の出発の日は、会津若松駅前に、市内のボーイスカウト隊が全員集まり、のぼり旗を数本も立てて、盛大な駅頭壮行会を行いました。

その後、鈴木君は家族と一緒に京都に行き、東本願寺の壮行会に出席したり、伊勢の皇大神宮を参拝するなど、忙しい日々を送っていた。

12月25日は鈴木君の日本出発の日、日本連盟の職員に案内されて、総理大臣官邸を訪問、岸信介総理大臣や藤山愛一郎外務大臣から、励ましの言葉を頂きました。

25日の夜、羽田空港に親戚や、東京在住のハチスのOBスカウトたち、十数人が集まり、盛大な見送りをしました。

こうして、鈴木君は、元気に出発、翌34年1月16日、友好親善の務めを果たして、会津若松市に帰ってきました。

1月18日には、早速、西蓮寺で報告会を実施し、そのあと学校でも、全校生徒の前で堂々の報告を行いました。

さらに、郡山市のボーイスカウト隊からも招待を受けて、報告会を実施するなど、引っ張りだこの人気者になったのです。

これが、会津若松第1団の海外派遣第1号だったのです。

平成29年8月14日
ハチス団委員 赤城良一