昭和24年、4月29日から5月1日までの3日間、謹教小学校で、第5回指導者養成講習会が開催されました。
受講生は約90人、県内はもちろん、新潟県の柏崎、津川、長岡、茨城県の高萩からも参加者がありました。
このときは、県下スカウト交歓会も兼ねていたので、県内各地のスカウトも参加して、総数約200名の大講習会になりました。
このあとの5月5日、新潟県津川町で、ボーイスカウト設立についての座談会が開催されました。
講師は、若松にきておられた三島通陽総長で、私も長岡の学校に帰る途中だったので、津川小学校の座談会に出席しました。
実は、前年の昭和23年7月20日に、国民の祝日に関する法律が公布され、この日が、日本で初めての「こどもの日」だったのです。
座談会で三島総長は、ボーイスカウトについての話とともに、「こどもの日」が、5月5日決まった経緯についてお話しをされた。
参議院議員であった三島先生は、「国民の祝日」の制定委員の一人で、「こどもの日」制定の提唱者だったのです。
そして、「こどもの日」を5月5日としたのは、端午の節句だからではなく、この日が晴天の特異日の一つなので、伸びゆく子どもたちのために、季節のよい、春の一日を選んだので、桃の節句を無視したのではない、と力説されていました。
ところが、この日の朝、NHKのラジオ放送で、三島先生が「こどもの日」についての話をされていたのです。
もちろん、録音の放送でしたが、それを聞いていた人が、「本当にこの人が三島氏本人か」と、ささやいていたという場面もありました。
偶然のこととはいえ、初めての「こどもの日」に、発案者である、三島通陽先生のお話しを聴くことができたのは、私にとって、忘れられない思い出となりました。
平成29年8月5日
ハチス団委員 赤城良一