ハチス 思い出話(55)

稲葉睦美氏のこと

今回は、前回の第1回東北実修所の続編で、神奈川連盟から参加された、
稲葉睦美氏のことについて、ハチスとの交流などについて紹介します。

稲葉睦美氏は神奈川県大和市で歯科医院を開業していた、歯医者さんでした。
稲葉氏は、患者の歯を治療するかたわら、ボーイスカウトの指導者として活躍、
計画的に、スカウティングの訓練に出かけるという活動をしていました。

この稲葉氏の活躍の様子は、当時、日本連盟が制作した、
ボーイスカウトのPR映画に紹介され、全国の指導者の話題になりました。
稲葉氏はその後、神奈川連盟のシニア・スカウトを育成するため、
ゴールデン・アックス・トレーニングを創設、壮大な特別訓練を始めました。

このトレーニング(GAT)は、北は青森から神奈川にいたる広範囲の地域を、
移動キャンプをするなどして、高度なスカウティング活動を行っていました。
時には、海上自衛隊に体験入隊をするなどの、プログラムも実施していました。

GATが東北方面に遠征するときには、稲葉氏はたびたび福島に立ち寄り、
ハチスを訪問したりして、私たちとスカウティングについて、
熱心に意見交換をしていました。お蔭で、ハチスのスカウティングにも、
大きな刺激を与えて下さいました。

平成4年8月、西郷村布引山高原で開催された、第10回福島県野営大会にも、
稲葉氏は、GATのメンバーとともに参加され、福島連盟のスタッフたちと、
旧交をあたためました。

そのころ、会津の福島第7団で、シニア・スカウトとして活動をしていた、
竹内和夫君が、昭和52年3月に、会津工業高等学校電気科を卒業しました。
そのとき、稲葉睦美氏の紹介で、神奈川県の事業所に就職、
会社に勤めながら、稲葉氏の指導を受けながらスカウティングに励みました。

熱心に活動していた竹内君は、次第に、地区の役員に起用されるようになり、
その後は、神奈川連盟の副コミッショナーに就任するようになりました。

ところが、竹内君は、副コミッショナーに就任して間もなく、
会社の人事異動で、アメリカの事業所に転勤することになり、渡米しました。

そこでも彼は、アメリカのスカウターとして活躍、その様子は、
画像として、たびたび、私のメール・アドレスに送信してくれました。
この情報は、ハチスをはじめ、福島連盟の方々にも転送しましたで、
ご覧になった方も多いと思います。

竹内君は、数年のアメリカ勤務を終えて帰国しましたが、その後も、
神奈川連盟の役員として活躍しておられるようです。

稲葉睦美氏は、平成4年の布引山高原の福島県野営大会に参加されたあと、
間もなく逝去されました。まことに偉大なスカウターだったとと思います。

平成30年2月7日
  ハチス団委員 赤城良一