ハチス 思い出話(51)

薩摩と会津の教育

新年を迎えて、NHKの大河ドラマは、「西郷どん」が始まりました。
まだ、第3回が終わったばかりで、どのような展開になるかは判りませんが、
西郷隆盛の物語りとなるものと思われます。

ドラマでは、やたら大声を出して武芸に励む場面が出てきます。
年長の子供や青年たちが、幼い子どもたちを鍛えている様子ですが、
薩摩藩が組織的に青少年を教育する、郷中教育という教育方法なのです。

この郷中教育は、会津藩の「遊びの什」の組織と大変よく似ており、
幕藩時代の教育が話題になるときは、薩摩藩と会津藩の教育が、
一緒に取り上げられることが多いようです。

薩摩藩の郷中というのは、現在の町内会のような地域の組織で
郷中ごとに、住む子供たちを、年齢別のグループに組織していました。
郷中では、この子供たちを、稚児(ちご)と二才(にせ)に分けて、
勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ)などの活動を、
先輩が後輩を指導することによって、強い武士に育てようとしていました。 
-小稚児(こちご)・・・・・6,7歳~10歳
-長稚児(おせちご)・・・11歳~14,15歳
-二才(にせ)・・・・・・・・・・・・・・・15,6歳~24,5歳
-長老(おせんし)・・・・・・・・・・・24,5歳を超える先輩

稚児の班長役には稚児頭がおり、二才の班長には二才頭がいて、
二才と稚児の指導をしていました。

藩では、次の「二才咄格式定目」を定めて、教育の根幹としました。
一.第一武道を嗜むべき事
一.兼ねて士の格式油断なく穿儀致すべき事
一.万一用事に付きて咄外の人に参会致し候はば、用事相済み次第早速罷帰り、長座致す間敷事
一.咄相中何色によらず、入魂に申合わせ候儀肝要たるべき事
一.朋党中無作法の過言互いに申し懸けず、専ら古風を守るべき事
一.咄相中誰人にても他所に差越候節、その場に於て相分かち難き儀到来致し候節は、幾度も相中得と穿儀致し越度之無き様相働くべき事
一.第一は虚言など申さざる儀士道の本意に候条、専らその旨を相守るべき事
一.山坂の達者は心懸くべき事
一.二才と申す者は落鬢を斬り、大りはをとり候事にては之無き候 諸事武辺を 心懸け心底忠孝之道に背かざる事第一の二才と申す物にて候 此儀は咄外の 人絶えて知らざる事にて候
右条々堅固に相守るべし、もしこの旨に相背き候はば二才と言ふべからず、軍神摩利支天八幡大菩薩、武運の冥加尽き果つべき儀

一方の会津藩の教育は、皆さんもよく知っていると思いますので、
簡単に述べておきます。

会津の藩校「日新館」に入学できるのは、10歳になってからでしたので、
日新館に入学するまでの間、子どもたちは、「什」という組織に入って、
集団活動をしていました。

「什」では、最年長の子が什長となり、毎日、どこかの家の座敷を借りて、
「什の掟」を唱えていたのです。
「什の掟」
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
  ならぬことはならぬものです

10歳になると、会津藩士の子弟は日新館に入学、授業は朝の8時から始まり、
論語、大学などの四書五経に、孝経、小学などの素読をしました。

このように、薩摩と会津の青少年教育は、大変よく似ており、しかも,
そのグループ活動は、ボーイスカウトのパトロール・システムと、
そっくりなのです。

日本でボーイスカウト活動が始まったばかりのころ、ベーデンパウエルは、
ボーイスカウト活動を始めるに当たって、薩摩の郷中や会津の什の教育を、
参考にしたと言われましたが、そういう事実は無いとされています。

しかし、北海道の下田豊松氏がベーデンパウエルに逢ったとき、
BPから直接、「ボーイスカウト精神と、白虎隊精神は一致する」と、
言われたと言います。

白虎隊精神を受け継いでいる私たち会津のスカウトは、
もっと「遊びの什」の精神や活動を研究して、
日常の活動に取り入れて欲しいと思っています。

平成30年1月25日
ハチス団委員 赤城良一