ハチス 思い出話(50)

歌うハチス隊

ハチス・ボーイスカウトの創始者秋月鏡観先生は、
合唱の指導者でもありました。

先生は、大谷大学の学生時代、大谷大学男声合唱団に入団して、
特にドイツの男声合唱曲を歌っていたそうです。
また、京都混声合唱団にも入団して、指揮法、指導法も身につけられました。

ボーイスカウト隊が誕生したあとも、会津高等学校の合唱団の設立や、
会津混声合唱団の結成にも尽くされました。当然、ハチスの私たちにも、
数多くのスカウト・ソングを指導され、日本連盟発行の歌集を次々と、
歌いこなして行きました。

鏡観先生は、自らスカウト達にソングを指導される一方、
ボーイスカウトの指導者は、楽譜を読めなければ駄目だと、
読譜力の修得を奨励されました。

私たち指導者も、混声合唱団に入団したり、楽器を使って曲を覚えたりして、
ソング集の歌を次々とマスターして行きました。私も長岡1隊で活動したとき、
幼稚園のオルガンで音程を確かめながら、楽譜を読むことに力を入れました。

オルガンが無いときは、すでに知っている歌を、ドレミの階名で歌って、
音階の感覚を身に付けるようにしました。始めてから1年も経つと、
楽譜を見るだけで、何とかメロディーが浮かぶようになりました。

読譜力をより確実にするために、スカウトに次々と新しい歌を指導することで、
力が付いた様に思います。斎藤籐寿君や遠藤英彦君も、合唱団で腕を磨き、
スカウトたちを指導したので、スカウトも、よく歌を歌っていました。

野営大会などに参加して、営火などでハチスのスカウトが歌いますと、
他の隊から、その歌を教えてくれと言われることも、珍しくありませんでした。

スカウトに歌を教えるときは、指導者が繰り返し歌って口移しで教えるので、
少々、節回しが怪しくなることがありました。しかし、鏡観先生は、
歌は楽しく歌うことが大切だと言われ、間違った節回しを、
「2団節」と言って、笑って見過ごしておられました。

隊のキャンプ・ファイヤーでは、班対抗の歌合戦で競い合い、
ハイキングでは、熊除けのためと大声で歌いながら歩き、
雨が降れば、テントの中で、歌集の1ページから歌っていました。

歌自慢のハチス隊の復活を願っているところです。

平成30年1月22日
  ハチス団委員 赤城良一