ハチス 思い出話(5)

第1回指導者講習会のこと
昭和20年8月、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れ、アメリカのマッカーサーが率いる連合軍が、日本に進駐してきました。
会津若松市にも、第29連隊という軍隊がありましたので、いまの第二中学校の場所にあった兵舎に、2000人ものアメリカ軍がやってきたのです。
こうした中で、昭和23年5月21~24日、福島市の青年会館で、ボーイスカウト第1回指導者講習会が開催されました。
まだ福島連盟はもちろん、日本連盟も誕生していない時でしたが、進駐軍の軍政部の後押しもあり、学校の先生など50名ほどの人が受講しました。
日本連盟の設立に活動されていた、わが秋月鏡観先生も、中心的な講師として活躍されました。
こうした講習会に、ハチスのスカウトが7名も参加したのです。
すでに、手旗、なわ結び、スカウト・ソング、その他の技術をマスターしていた彼らは、技術指導のモデルとして、模範演技をして協力したのです。
この時参加したハチスのスカウトの中には
赤城圭一君のお父さんの史朗君、
石井淳一君のお父さんの久雄君
いま考古学研究で活躍している中村五郎君などがおりました。
この3人は小学校の同級生で、この時は新制中学2年生でした。
添付した写真で、最も右側に腰を下ろしているのが鏡観先生で、その前に学帽や、坊主頭の少年たちがいますが、それが彼らです。
中央部に立っておられるのが、日本連盟総長になられる三島通陽先生で、その左斜め前に、野営帽をかぶっている人は、スギモト軍曹という、日系アメリカ人の進駐軍の兵士で、この講習会の講師の一人として活躍されました。
日本語は達者で、スタイルが良く、優しい顔のイケメン日本人と感じで、ハチスのスカウト達も、親しみを感じて、競ってスギモト軍曹の指導を受けていました。
ハチスの隊は、この講習会の参加で、すっかり自信をつけて、拡大、発展につなげていったのです。
ではまた。
平成29年8月3日
   ハチス団委員 赤城良一