ハチス 思い出話(48)

第一回北信越地方実修所

昭和24年9月3日から7日間、富山県上滝町大川寺公園で行われた、
第1回北信越地方実修所に、遠藤英彦君と一緒に入所しました。

このことは、思い出話(14)で、「永遠のスカウト」のエピソードとして、
送信しました。今回は当時の実修所の様子を送信します。

実修所が開設された川寺公園は、立山連峰から富山湾に注ぐ、
常願寺川のそばにある草原で、ゆるい傾斜地でした。
所長は三島通陽総長の予定でしたが、急に中村知先生に変更になりました。
開所式で、中村知先生は「三島先生が所長と思って入所したのだろうが、
私で不満だったら、直ぐに帰ってもよい」と言われ、少々がっかりしました。

中村知先生は、多くのスカウト・ソングを作詞、作曲された先生なので、
毎日、新しい楽譜を配布され、翌朝の講義までに、各班ごとに練習して、
歌うよう指示されました。

この時歌った歌は、「永遠のスカウト」をはじめ、「パトローリング」、
「青き新しきスカウト」、「山鳩」、「名残の営火」、「十種野営調理法」、
「星方位」、「手旗の歌」など、いわゆるチーやん節の数々が指導されました。

研修は6泊7日の期間でしたので、いろいろな経験をしました。食事の献立には、
各班に生きた兎が一羽ずつ配給され、それを料理する課題もありました。
5日目の夜は薬罐訓練として、対岸の雄山神社まで行き、
境内で「忍び寄り」のゲームを実施したが、鬱蒼とした千年杉の木立ながら、
満月の光が明るく、すぐに見つかってしまい苦労しました。

ハイキングのときは、所長から、「この地域は文化に恵まれていないので、
子どもたちが群れて遊んでいたら、君たちが新しく覚えた歌を、
教えてやりなさい」という課題が与えられました。

出発してしばらく歩いて行くと、広場で数人の子どもたちあそんでいたので、
早速、スカウト・ソングを教えようとしたら、
「その歌、さっきの小父さん達に習ったよ」と言われ、
歌を選ぶのに苦労する、ということもありました。

その他、スカウティングの基本的なプログラムとして、入隊式の実修、
キャンプファイヤ、国旗掲揚などの実修もありました。

閉所する前に、事後課題として次の課題が与えられました。
(1)スカウト教育に野外訓練の不可欠なる理由
(2)班別制度がスカウト教育の根幹である理由
(3)班精神、班活動にテント生活がおよぼす作用について
(4)隊をはじめるときに留意すべき諸点
(諸君の失敗や成功からの体験から)
(5)ゲームの教育的意義如何、及び新しいゲーム一種以上を創作する
(6)年少幹部(グリーンバー)班の教育の重大性について
(7)上級班長のあり方について
(8)隊委員にスカウティングを知らせる方策
(9)クラブルームの必要なわけ、その設備の理想案

この9項目について報告書を提出することによって、修了証が与えられました。

平成30年1月15日
ハチス団委員 赤城良一