ハチス 思い出話(44)

第1回北信越大会

昭和25年8月2日から6日まで、新潟県で開催された、
第1回北信越大会に、遠藤英彦、蓁君兄弟、武田初太郎、
藤崎忠君と私の5人で参加しました。

大会は、新潟連盟を中心に、長野、富山、石川の各連盟から、
約700名のスカウトの参加があり、大規模の大会となりました。

開会式は、柏崎市の鯨波の御野立公園で行われ、松林の中に設営しました。
翌3日は柏崎市内をパレードして、柏崎第1隊のスカウトと交歓しました。
4日はハイキングを兼ねて長岡市に移動、明治公園に設営しました。

5日は、長岡市内をパレードして交歓会、6日は閉会式を行ない、
長岡復興博覧会を見学しました。

長岡市は、昭和20年8月1日の夜、アメリカのB29爆撃機の空爆を受け、
街の中心部は壊滅的な廃墟となったのです。その夜、会津若松市の西の空は、
赤い色に染まり、空爆の様子が伺われました。

私が長岡工専に入学した昭和22年、街の中はバラック住宅が並んでいました。
それから3年、まだまだ長岡市の復興は緒についたばかりでしたが、
復興博覧会開催の意気込みは、目を見張るものがありました。

ご存じと思いますが、長岡藩は戊辰戦争のとき、会津藩とともに西軍と戦った、
友藩だったのです。家老の河井継之助は、長岡城が落城したあと、
会津に向かって落ちのび、只見町で死亡しました。そして、
会津若松市の建福寺前に仮埋葬されました。

平成29年12月29日
ハチス団委員 赤城良一