ハチス 思い出話(35)

長岡第1団のこと

昭和22年3月、私は会津中学校(現会津高校)を卒業、
長岡工業専門学校に入学しました。

最初の夏休みに、若松に帰省したとき、畳屋の五十嵐俊雄君から
「ボーイスカウトに入いんねかよ」と誘われました。
戦前、小学校4年生のとき、白虎隊少年団に入っていて、
その面白さを知っていたので、即座にOKしました。

鏡観先生にお逢いして、ボーイスカウトのことをお聞きして、
早速、活動を始めました。そして、長岡に帰るとき、
「長岡には、戦前から少年団をやっていた人がいるから、訪問してみたら」、
と言われました。

その人は長尾?麿という方で、円光寺の住職でした。幼稚園も経営しており、
小学生には日曜学校も開いておられました。長岡に戻って、早速、
円光寺を訪問して、長尾先生にお逢いしました。

新潟県内にも、ボーイスカウト隊が続々と誕生している状況でしたので、
長尾先生もボーイスカウト隊を設立したいと考えておられたました。
ただ、適当な指導者がいないため実現出来なかったので、
若し、私が協力してくれるなら、直ぐにでも始めたいとのことでした。

円光寺は、長岡工専の学校から、僅か300メートルほどの近距離でしたので、
私も興味がありましたので、お手伝いすることにしました。
私もハチスで登録するので、隊長は、お隣の西方寺の住職赤沼氏にお願いし、
私は、副長として活動することになりました。

それからは、土曜日の午後や日曜日に円光寺に出かけ、
日曜学校の生徒を相手に、結索や手旗の訓練やゲームをしたり、
ソングの指導を続けました。幼稚園にはオルガンもありましたので、
ソングの楽譜を手に、音程を確かめながらレパートリーを増やして行きました。

こうして、昭和24年10月になって登録申請書を日本連盟に提出、
10月24日に、晴れてボーイスカウト長岡第1隊が誕生しました。
それまで、隊委員として協力されていた、願性寺の井上晃英氏も、
長岡第3隊を結成されるなど、続々と新隊が誕生しました。

その後、井上晃英氏の長男の法英氏が、新潟連盟理事長を勤めるなど、
新潟連盟の運営には、長岡第1団や第3団の指導者が担っているのです。
私にとっても、まことに嬉しいことです。

平成19年、天神浜で開催された、100周年記念福島県野営大会には、
当時、スカウトだった遠藤安一氏、小林敏勇氏、宮田晃氏といった人たちが、
スカウトとともに参加してくれました。

そして今、育成会委員となって長岡第一団を支えておられますが、
まことに羨ましいことと思っています。長岡第1団のホームページには、
素晴らしい活動状況が紹介されていますので、是非ご覧下さい

平成29年11月26日
ハチス団委員 赤城良一