ハチス 思い出話(33)

藩公行列の奉仕

昭和の初めごろ、若松では大名行列が行われていました。
現在の藩公行列と違い、映画などに見る行列で、駕籠や長持ちを担ぎ、
女優の乗った屋台などの無い、素朴な行列でした。

戦争が終わって平和な時代を迎え、市民の生活も落ち着いたころ、
会津まつりが始まり、白虎行列が始まりました。久しぶりの賑やかなお祭りに、
市民は大喜び、行列の沿道は見物する人で溢れました。
ボーイスカウトも、混雑によって行列に支障のないよう、
交通整理の奉仕をしました。

当時は、現在の交通整理のように、行列に付き添うような整理でなく、
沿道の人が行列に接近しないように、ロープを張って整理していました。
行列が目の前を通りすぎると、ロープを畳んで、先回りをして、
次の場所へ走って行くという、ハードな活動をしていました。

行列は会津藩公行列となり、藩主をはじめ、馬に乗る家老の数も多くなり、
大河ドラマの出演者なども参加するなど、年々豪華になってきました。

昭和40年(1965)からは、若殿や姫君などが加わるようになり、
その若殿第1号に、ハチスのボーイ隊員新城基行君
(現末廣酒造・新城猪之吉)が選ばれました。
奉仕のスカウトも、若殿を守るように寄り添い、行列を盛り上げました。

その後、ボーイ隊員の減少で、奉仕の方は淋しくなりましたが、
市外の隊や、他地区の隊からも、応援の奉仕があり、
伝統的奉仕が続けられています。
ボーイスカウト運動をアピールする好機とも思いますので、
これからも頑張って下さい。

平成29年11月20日
ハチス団委員 赤城良一