十日市の出店
戦後、私たちがボーイスカウト活動を始めたころ、活動に必要な費用は、
スカウト自身のお小遣いを節約して行うもので、
親から出してもらうものではないと教えられました。
一方、スカウト活動には、父兄を中心に育成会という組織も作り、
運動を援助すると言われました。そのためハチスでは、父兄だけでなく、
広く会員を集めようと、はがきの半分大きさの「育成会会員証」を作り、
玄関などに貼ってもらいました。
スカウトたちも、自分たちの活動資金は自分でと、正月の十日市に店を出して、
資金を作ろうという案が出て、実行することになりました。
昭和23年の暮れ、ボーイとガールが協力し合って、
手作りのだるまや影絵セットなどの制作に励み、翌年の1月10日、
七日町の白木屋漆器店の向かいの、三原時計店の前に店開きしました。
客の多くはスカウトの父兄などでしたが、一般の客も買ってくれたので、
ある程度の収益がありました。
この成功によって、昭和25年の十日市には、班ごとに出店することになり、
田澤金物店から金物を、そして文栄堂書店から本を提供してもらうなどして、
4班が、それぞれ4つの店に分かれて、出店しました。
このときは、神明通りの真ん中に屋台が並びましたが、
4つの班は、互いに負けまいと、声を張り上げて客を呼び止めていました。
シニア・スカウトは、買い物客が混雑する、大町四つ角を中心に、
交通整理に奉仕しました。
この年は天候が悪く、テントの雪がガチガチに凍りついたので、
撤収してから、テントを遠藤医院の診療室に持ち込んで、
そこでテントの雪を融かすということもありました。
平成29年11月18日
ハチス団委員 赤城良一