ハチス 思い出話(31)

白虎隊とBP

明治40年(1907)に誕生したボーイスカウト運動は、
広く世界中に拡がり、日本でも、静岡、大阪、東京などに誕生し、
大正11年(1922)に「少年団日本連盟」が発足しました。
総裁は後藤新平男爵、三島通陽先生が副理事長に就任されました。

大正9年(1920)には、イギリスのロンドン、オリンピアで、
第1回国際ジャンボリーが開催され、日本から下田豊松氏、
小柴博氏とスカウトの鈴木慎さんの、3名が参加しました。

ここで、3名はベーデン・パウエル(BP)と会見、BPから、
「貴国の白虎隊の精神こそ、万国少年団の模範である」との、
お言葉を戴いたと言うのです。

後日、下田氏は親交のあった、飯盛山の山主、飯盛正成氏に送った書簡に、
このことを明記され、白虎隊精神を讃えられました。

BPがボーイスカウト運動を創始するに当たって、鹿児島の「郷中教育」と、
会津の「遊びの什」を参考にしたと言われましたが、
これは完全に否定されているようです。

しかし、少年団日本連盟が設立するに当たって、大正13年(1924)、
猪苗代湖畔天神浜で、第1回全国野営が行われたのも、
白虎隊精神のエピソードと無関係では無いと思っています。

このことは、山主飯盛本店発行の「白虎隊精神秘話」に、
詳しく載っていますので、是非、手にとって読んで下さい。

平成29年11月15日
ハチス団委員 赤城良一