鏡観先生と、高瀬先生の海外派遣
大勢の海外派遣スカウトを出したハチスも、大先輩の秋月鏡観先生と、
高瀬喜左衛門先生も、昭和13年にそれぞれ少年団員として、
海外に派遣されていたのです。
鏡観先生は第四小学校(城西小)小学生のときキャンプ生活を体験され、
会津中学校から、京都の大谷大学に進まれたとき、
京都市常葉健児団(ボーイスカウト)に入団されました。
昭和12年、文部省の日独青少年交歓派遣事業の団員に選ばれ、
大学を卒業した翌年の、昭和13年5月にドイツに向けて出発されました。
そして、そのあとドイツ、ポーランド、オーストリア、フランスを訪問して、
約半年の親善交歓活動をして帰国されました。
一方の高瀬喜左衛門先生は、小学生のとき第二白虎少年団(城北小)に入団、
その後、会津中学校(会津高校)に入学して、
4年生(今の高校1年生)のとき、少年団日本連盟の代表として、
同じ、昭和13年にイタリア派遣団として渡航したのです。
当時は、日独伊防共協定が結ばれていて、友好関係を深めていたので、
派遣団は準国賓待遇で、手厚い歓迎を受けたと聞いています。
この年、ドイツからはヒトラー・ユーゲント(ナチス青少年団)が訪日し、
8月31日には若松を訪問して、白虎隊の墓前にお参りしていました。
私は、3年生で、まだ白虎少年団には入団していませんでしたが、
大町通りに整列して、ヒトラー・ユーゲントの一行を、
出迎えたことを思い出します。
ハチスの創立に尽力された二大先輩のお二人が、
海外派遣の先駆者だったことに、私は誇らしい思いをしています。
平成29年11月1日
ハチス団委員 赤城良一