ハチス 思い出話(26)

班長と班旗

人間が生まれてから成人になるまでの成長過程は、
人類の進化の過程をたどっていると言われています。

這い這いをしていた赤ちゃんが、やがて二本足で立ち上がり、
手を使って道具を作って、獲物を獲るという経験を経て、
現在に到ったと言います。

ボーイ隊のスカウトたちは、ちょうど、未開人たちが粗末な槍や斧を作って、
獲物を捕らえて生活していた時代に相当すると、聞いたことがあります。
子どもたちが健全に成長するには、こうした野外活動が重要だというのです。

ベーデンパウエルはこの活動を進めようと、
ブラウンシー島で実験キャンプを実施しました。
その結果、一つの班は異年齢のスカウト8名、1ヶ隊は4ヶ班までで、
4×8名の32名が、リーダーが指導できる限界だと言うのです。

ハチス隊が誕生すると、たちまち32名のスカウトが集まり、
昭和24年にはその人数を超え、ハチス第2隊を編成したのです。
第1隊隊長は五十嵐俊雄君、第2隊隊長は田澤竹雄さん(田澤豊彦さんのお父さん)でした。

班長は、アリ班(石井久雄君)、クマ班(赤城史朗君)、
タカ班(大川原賢吉君)、ライオン班(相田邦雄君)などがありました。
各班は、それぞれ班旗を作り、集会のときは、必ず持参していました。

その後、班長が上進してシニアに出て行っても、後を継いだ班員は、
大切にその班旗を守り、何十年もの間、受け継いでいました。
第2隊が誕生すると、フクロウ、ワシ、ハチ、シマウマ、シカ班などが誕生し、
その動物の性質を班精神として、団結を深めていました。

平成29年10月26日
ハチス団委員 赤城良一