第1回全日本ボーイスカウト大会
先日、たまたまハチスOBの中村五郎君にお逢いし、
しばらくぶりで、ボーイスカウトの昔話をしました。
中村君は、石井淳一君のお父さんの久雄君や、
赤城圭一君のお父さんの史朗君と同級生で、
福島市の第1回指導者講習会に参加した、オールド・スカウトなのです。
そして、昭和24年に皇居前広場で開催された、
第1回全日本ボーイスカウト大会にも参加されていました。
私は、この大会に参加していなかったので、
あまり知られていない話を聞いて見たのです。
皇居前広場という、見方によっては日本人にとって神聖な場所で、
テントを張ってキャンプをすることが、どうして可能だったのが,疑問でした。
中村君の話によれば、大会期間中、皇居を取り巻く道路を、
アメリカの進駐軍のMP(憲兵)が乗ったジープが、
終始、巡回して警備して、ボーイスカウト関係者以外の人が、
会場に立ち入らないよう、見守っていてくれたというのです。
つまり、この第1回全国大会は、GHQの強力な後押しがあってこそ、
実現したものと考えられます。
このときまで、日の丸の掲揚が禁止されていたのに、
国旗行進が実現したのも、そのお蔭だったと考えられます。
中村君の家は、当時、大和町と北小路の角に、
新興館という映画館を経営していて、そこで上映されたニュース映画で、
この国旗行進の場面が映し出されたそうです。
その行進の画面の中に、ハチスのスカウトの行進の姿が、
映っていたという話をしていました。
中村君の家には、映画フイルムの断片が残っているので、
若しかすると、この国旗行進のシーンの断片があるかも知れないので、
探してみると言っていました。
大会が終わって会津に帰る前に、遠藤外与人団委員長の紹介で、
築地の町の方々との懇親会を行ない、町内の銭湯に入れてもらったり、
小学校に宿泊させてもらって、帰ってきたと話していました。
私は、昭和24年はまだ学生で、昭和25年は津川高等学校に勤め、
昭和26年は東京での生活でしたので、ハチスのことで、
知らないことも多いので、中村君のようなOBにお話しを聞くことも、
計画してはどうでしょうか。ではまた。
平成29年10月5日
ハチス団委員 赤城良一