銀座の大行進
昭和24年4月1日、文部省の認可によって、ボーイスカウト日本連盟が誕生しました。
戦後、ここまで、いろいろな国際的活動をしていた団体が、
GHQの許可がなく、国際機構に加盟することが出来なかったのです。
それだけに、ボーイスカウト日本連盟が、他の団体に先駆けて、
国際機構に加入できた喜びは大変なものでした。
これを記念して、9月24日、皇居前広場で、
第1回全日本ボーイスカウト大会が開催されました。
全国から集まったスカウトは、約3500名、中には下駄履きで参加する隊、
麦わら帽子をハット替わりにする隊などで、満足に制服を着た隊などは、ごく少数でした。
わがハチスからも30名ほどのスカウトが参加、新らしく制定した、
縞のネッカチーフを着用して、キビキビとした行動で活動していました。
会場には、天皇皇后両陛下に、皇太子殿下をはじめ、
皇室ご一家もご臨席になり、大変な盛り上がりとなりました。
広場に隣接する日比谷公園は、GHQに接収され、
ドウリットル・フィールドという名のグランドになっていましたが、
ここで、ゲーム大会などが行われ、ハチスのスカウトも元気に活動しました。
当時、会津の殿様、松平恒雄様は参議院議長を務めておられましたが、
天皇ご一家と一緒に参加され、わざわざ会津隊の所までお出でになり、
「この運動は、世界で最も優れた信用のある運動なので、
しっかり活動するように」とのお言葉を戴きました。
翌日は、戦後初めての公式パレードが行われ、
参加各隊が持ち寄った、日の丸の国旗集団を先頭に、
銀座通りを大行進を行いました。
これまで、日本では、GHQの命令で国旗日の丸の掲揚は禁止されていたので、
戦後、始めて見る国旗の大行進に、都民は大感激、
沿道のビルや日劇の窓からの、紙吹雪が舞い、
スカウトの頭上に降り注ぎました。
中には、行進するスカウトたちの手を握り、「日本の将来をお願いします」と、涙を流しながら訴える人も多かったといいます。
こうした熱烈な歓迎を受けたスカウトたちは、
自分たちに寄せられた使命の大きさを痛感したと、語っていました。
このとき、私は、長岡で学生生活を送っていて、
学期末のテストの最中でしたので、残念ながら参加できませんでした。
平成29年9月24日
ハチス団委員 赤城良一