ハチス 思い出話(21)

銀座の大行進

昭和24年4月1日、文部省の認可によって、ボーイスカウト日本連盟が誕生しました。

戦後、ここまで、いろいろな国際的活動をしていた団体が、
GHQの許可がなく、国際機構に加盟することが出来なかったのです。
それだけに、ボーイスカウト日本連盟が、他の団体に先駆けて、
国際機構に加入できた喜びは大変なものでした。

これを記念して、9月24日、皇居前広場で、
第1回全日本ボーイスカウト大会が開催されました。

全国から集まったスカウトは、約3500名、中には下駄履きで参加する隊、
麦わら帽子をハット替わりにする隊などで、満足に制服を着た隊などは、ごく少数でした。

わがハチスからも30名ほどのスカウトが参加、新らしく制定した、
縞のネッカチーフを着用して、キビキビとした行動で活動していました。

会場には、天皇皇后両陛下に、皇太子殿下をはじめ、
皇室ご一家もご臨席になり、大変な盛り上がりとなりました。

広場に隣接する日比谷公園は、GHQに接収され、
ドウリットル・フィールドという名のグランドになっていましたが、
ここで、ゲーム大会などが行われ、ハチスのスカウトも元気に活動しました。

当時、会津の殿様、松平恒雄様は参議院議長を務めておられましたが、
天皇ご一家と一緒に参加され、わざわざ会津隊の所までお出でになり、
「この運動は、世界で最も優れた信用のある運動なので、
しっかり活動するように」とのお言葉を戴きました。

翌日は、戦後初めての公式パレードが行われ、
参加各隊が持ち寄った、日の丸の国旗集団を先頭に、
銀座通りを大行進を行いました。

これまで、日本では、GHQの命令で国旗日の丸の掲揚は禁止されていたので、
戦後、始めて見る国旗の大行進に、都民は大感激、
沿道のビルや日劇の窓からの、紙吹雪が舞い、
スカウトの頭上に降り注ぎました。

中には、行進するスカウトたちの手を握り、「日本の将来をお願いします」と、涙を流しながら訴える人も多かったといいます。

こうした熱烈な歓迎を受けたスカウトたちは、
自分たちに寄せられた使命の大きさを痛感したと、語っていました。

このとき、私は、長岡で学生生活を送っていて、
学期末のテストの最中でしたので、残念ながら参加できませんでした。

平成29年9月24日
ハチス団委員 赤城良一