山中野営場の思い出
今回届いた「スカウティング」誌に、
山中野営場の閉所式のことが載っていました。
これまで、多くの指導者を育ててくれた山中野営場が、閉所されることは、
私にとっても思い出深いところでありて、まことに残念なことであり、
大変淋しく思っています。
私が、初めて山中野営場に行ったのは、昭和28年(1953)、
斎藤籐寿君と一緒に、第7回指導者実修所に入所したときでした。
7月23日から7月31日までの、8泊9日の長期間の入所で、
所長は、古田誠一郎先生でした。
このときの思い出は、また、後日、メールでお知らせします。
その次は、昭和33年(1958)7月27日から8月1日まで開催された、
年長隊富士野営で、ハチスのシニア・スカウト約10名と参加しました。
このときは、会津隊全員で富士登山をしました。
昭和45年(1972)は第5回日本ジャンボリー、
昭和46年(1971)は第13回世界ジャンボリーが、
同じ、静岡県朝霧高原で開催され、私は施設資材部員として奉仕しました。
このときは、ジャンボリー会場と山中野営場の間を、資材の運搬などのため、
何度も往復していました。
このように、山中野営場は私にとって、思い出深い所でしたので、
10年ほど前の平成20年(2008)、妻に山中野営場をみて貰おうと、
一緒に山中野営場を訪れ、「道心堅固」の碑や、
「われはふくろ」の記念碑などを、見て回りました。
石井淳一君のお父さんが大学生だったころ、同じハチスの五十嵐英雄君と、
実修所が開設されている時、山中野営場でアルバイトで、
裏方の仕事をしたといっていました。
当時の野営場の場長は、ロープワークの名人の浦田太一朗氏で、
特に、奥さんから可愛がられ、褒められたと聞いています。
実修所のことや、富士登山の事など、メールでお知らせしますので、
愉しみにして下さい。
平成29年9月21日
ハチス団委員 赤城良一