ハチス 思い出話(16)

私が小学生だったとき、第二白虎少年団に入っていたことは、
以前に、このメールでお知らせした通りです。

当時の少年団は、現在のような、地域の指導者による活動でなく、
学校の部活動のような存在でした。

土曜日の午後や、日曜日などに、学校に集まって訓練をしていました。
従って、現在のスカウティングで奨励されている、班活動は、殆ど記憶にありません。

訓練の内容は、今の活動と変わりなく、野外活動を主にして、
テントの張り方や炊事などのほか、ソングやゲームを楽しんでいました。

服装は、現在のものと殆ど同じですが、冬でも半ズボンでしたので、
大変、寒い思いをした記憶があります。

年末の12月14日になりますと、忠臣蔵の赤穂浪士の日ですので、
各学校の少年団では、それぞれ、義士祭という行事を開催していました。

私の第二白虎少年団では、当日の夕方、学校の2階の礼法室に集まって、
佐藤さんという活動弁士による、「赤穂義士銘々伝」という、講談を聞かされたものでした。

第一白虎少年団(現鶴城小学校)では、その夜、鶴ヶ城の本丸に集まり、
吉良邸の「討ち入りごっこ」のゲームを楽しんでいたようです。

活動弁士というのは、無声映画のナレーションを務める人で、
佐藤さんは、馬場町にあった戊辰館という映画館専属の弁士で、
弁舌爽やかで人気のある方でした。

平成29年9月8日
ハチス団委員 赤城良一