ハチス 思い出話(15)

鈴木正顕君に続く海外派遣

昭和34年7月17日から27日まで
フィリピンのマッキリンで、第10回世界ジャンボリーが開催されました。
アジアで初めての世界ジャンボリーでした。

この世界ジャンボリーに、日本連盟では、
520名ものスカウトを派遣したのです。

この派遣団に、ハチスから小原敏男、星興司、森勇助君の3名が選ばれ、
鈴木正顕君に続く海外派遣とななりました。

7月8日、東京の芝浦岸壁から、貨客船の白山丸に乗船して出発、
ジャンボリー開会まで10日間の船旅でした。

この白山丸は、昭和20年の敗戦後、満州、中国大陸からの引揚者を輸送する引揚船として、大活躍した船だったのです。

途中の沖縄沖やフィリピン沖では、大東亜戦争の犠牲者のための、
海上慰霊祭も行ったそうです。

当時のフィリピンは、対日感情が悪く、久留島秀三郎団長から、
「国旗に恥じない正々堂々とした態度で、親善の務めを果たせ」、
との教えがあっといいます。

参加スカウトは、誠心誠意、現地の人々と親善の務めを果たし、
ジャンボリーが終了して帰国するころには、対日感情も一変して、
好意的になったと言っています。

いつか、こうした先輩スカウトの体験談を、
聴く機会があったらと思っています。

平成29年9月3日
ハチス団委員 赤城良一