初めての「永遠のスカウト」
昭和24年9月3日から9日までの7日間、富山県上滝町で開催された、北信越実修所に入所しました。
今回の実修所は、日本連盟総長の三島通陽先生が所長だから、入所しなさいと勧められ、隊委員長の遠藤外与人先生の長男英彦君と、一緒に入所しました。
私は、長岡で学生生活を送っていましたので、長岡からの参加、遠藤英彦君は若松からの参加で、現地で一緒になりました。
開所式のとき現れたのは、期待していた三島総長ではなく、お年寄りで、ヨレヨレのハットを被った中村知先生、初めてお目にかかる方でしたので、少々がっかりしていました。
中村知先生といえば、数多くのスカウトソングを作詞作曲した大ベテラン、思った以上に厳しい実修所となりました。
期間中、毎日、新しいスカウトソングの楽譜を配布され、「翌朝まで歌えるようにしなさい」という課題が出されました。
入所した指導者の中に、楽譜の読める人は殆ど居ない状況、結局、遠藤英彦君の班と、私の班だけの歌合戦の毎日となりました。
この中で、「永遠のスカウト」の楽譜が配布され、これは、最近亡くなられた、ボーイスカウト運動の先駆者、中野忠八先生の追悼歌で、今回、初めて公開するのだというのです。
この歌も、遠藤英彦君の班との競演となりましたが、この時が初めての合唱となったと思っています。
中野忠八先生は、鏡観先生が大谷大学生時代に指導を受けられ、スカウティングの神髄を伝授された、恩師と言っておられました。
あとで判ったことですが、第12回世界ジャンボリーに参加したとき、「おけいの墓」で読経して下さった、菊田裕章さんも、この実修所に入所されていたのです。
平成29年8月30日
ハチス団委員 赤城良一