アメリカでの誕生日
今からちょうど50年前の8月24日、私は、アメリカ・カリフォルニア州の、タホ湖を眼下に眺める、タホーバレーのスキー場に立っていました。
この時、私は、第12回世界ジャンボリーに参加したあと、サクラメントのオットー氏の家に、ホスト・ファミリーとして、金沢市の指導者菊田祐章氏と二人で、お世話になっていたのです。
タホ湖は、サクラメントから東に約140キロのところにある湖で、猪苗代湖の約5倍の広さをもつ美しい湖で、湖の西側には、1960年の冬季オリンピックが開かれた、スクオバレーがあります。
サクラメントのディビットという、専従指導者の案内で観光したのですが、彼は今日が誕生日だと言って、大張り切りでした。
実は、私もこの8月24日が誕生日なので、そのことを話したら、「ハッピー・バーズデー・トウ・ユー」と、大声で歌ってくれました。
私は三十八歳、彼は二十八歳、実に楽しい有意義な誕生日でした。
スキー場の頂上では、サクラメントのスカウトたちが、得意のインデアンダンスを披露してくれました。
あれから50年、こうして、何とか元気で、満88歳の誕生日を迎えることができました。
翌日の8月25日、オットー氏の案内で、同宿の菊田祐章氏と、サクラメントから約60キロ離れた、コロマという町に出かけました。
コロマは、1849年から始まったゴールドラッシュで賑わったという町で、会津出身の「おけいの墓」がある所なのです。
明治2年(1869)、戊辰戦争に敗れた会津藩士と家族37名が、新天地を求めて日本移民団としてアメリカに渡りました。
おけいは子守として同行した、その中のただ一人の少女でで、日本人移民の女性第一号とされています。
背あぶり山を思わせるような、広々とした丘の上に、おけいの墓は、枯れ草に囲まれて、ポツンと建てられいました。
墓は、小石を敷いた1メートル四方位の囲いの中に、背あぶり山にあるおけいの墓と、全く同じ真っ白な墓で、「サンノゼ別院婦人会」と「スタクトン仏教会信徒」と書かれた、参拝記念の標柱ととともに建てられていました。
同行した菊田祐章氏は、私と同年で浄土真宗のお坊さんでしたので、心をこめて読経して下さり、一緒にお参りしました。
おけいは十八才の若さで亡くなりましたが、毎日のようにこの丘に登り、会津の山野を偲んでいたようです。
「おけい」のことは、いろいろと出版物もありますし、白虎町の太郎庵には銅像も建っていますので、研究して下さい。
平成29年8月24日
ハチス団委員 赤城良一