平成元年のスカウティング
「令和」という新しい元号が決定して、「平成」の時代も間もなく終ります。
来月は令和元年5月となり、現在の皇太子殿下が即位され天皇陛下となります。
令和元年を迎えるに当たって、平成元年という年はどんな年だったのか、
資料をめくってみました。
昭和63年の9月、昭和天皇は体調を崩され、病院に緊急入院されました。
それからは、国民こぞって陛下のご回復を祈っていましたが、
昭和64年1月7日、皇居吹上御所にて崩御されました。
明けて1月8日、小渕恵三官房長官が、テレビで「新元号は平成です」と発表、
新しい時代の幕開けを知らせました。戦争続きの20年から、復興への30年、
昭和の時代は、まさに波瀾万丈の時代でした。
そこで発表された「平成」という元号に、
日本国民は、明るい時代の到来を感じたと思います。
2月24日、新宿御苑葬場殿では、昭和天皇の大喪の儀が行われました。
この日、福島連盟は磐梯熱海の金蘭荘で、理事会、指導者集会を開催しました。
指導者120名が集まり、翌25日の福島連盟総会で、
福島県知事佐藤栄佐久氏を、福島連盟長に推戴することを決議しました。
前の連盟長は、松平勇雄福島県知事で、昭和52年から10年余りの長い間、
福島連盟長として、私たちをご指導いただきました。こ存じの通り、
松平勇雄先生は会津藩最後の殿様、松平容保公につながる方で、
特に、ハチスの私たちに親しく接していただきました。
福島県知事としての任期を終えられた松平先生は、政界から引退され、当時、
参議院議員だった佐藤栄佐久氏が知事選挙に立候補され、当選されたのです。
5月7日、郡山市の開成山公園で、佐藤知事の福島連盟長推戴式を開催しました。
全県下から集まった1300名のスカウトは、小雨降る中にもかかわらず、
大歓呼をもって新連盟長の誕生を祝いました。ただ残念ながら、
予定していたゲーム大会は中止せざるを得ませんでました。
佐藤栄佐久連盟長は、少年時代に安達郡本宮町の福島第56団に入団、
松本茂隊長の薫陶を受けました。シニアースカウトに上進してからは、
年長隊富士野営にも参加するなど、活発なスカウト活動を体験していました。
5月20日、大阪市で開催された日本連盟全国会議において、
ハチスのボーイ隊長石井淳一君が、人命救助の褒状が授与されました。
北小路町の五十嵐畳店が出火したとき、淳一君は、燃え盛る火の中に飛び込み、
家の中に居られたおばあちゃんを、身の危険も顧みず救い出したのでした。
五十嵐畳店は、昭和28年に25歳で亡くなった五十嵐俊雄隊長の家で、
次男の英雄君は副長、三男の康夫君、四男の紀夫君も、
スカウトとして活躍していたスカウト一家でした。
この年は春の叙勲で、柳沼角栄先生が勲5等瑞宝章、
秋月鏡観先生が勲5等双光旭日章、
秋の叙勲で、宮崎善宣先生が勲5等双光旭日章を受章され、
それぞれ祝賀会が開催されました。
7月30日、郡山市の立正佼成会で福島連盟理事会を開催、
福島連盟40周年事業の審議をして、記念行事委員会を発足させました。
8月27日、青少年会館で福島連盟40周年式典委員会を開催して、
式典の式次第、分担を決めました。
9月30日、青少年会館で福島連盟三役会議を開催、表彰規定などの検討
翌10月1日、つつじが森に移動、10時30分から、先達の碑の前で入魂式を挙行、
合祀したのは、佐々木恒男(いわき市)、原正(郡山市)、佐藤守(福島市)、
舘脇正治(須賀川市)、星弘美(会津若松市)の5柱でした。
続いて福島連盟40周年式典を挙行しましたが、佐藤栄佐久連盟長は欠席、
秋月鏡観先生が式辞を代読されました。午後、レセプションを実施して、
いわき市平の大黒屋で開催された、スカウト展を見学しました。
「平成」の幕開けは、ボーイスカウト活動でも、大きな節目だったのです。
平成31年4月12日
ハチス団委員 赤城良一
佐藤新連盟長推戴式・開会の辞 佐藤新連盟長推戴式・連盟長挨拶
福島連盟40周年式典・つつじが森 柳沼角栄氏叙勲祝賀会・郡山市ビューホテル
秋月先生叙勲祝賀会・白鳥会館 宮崎先生叙勲祝賀会・福島グリーンパレス