ハチス 思い出話(96)

高松宮御別邸の野営

昭和28年の隊キャンプは、猪苗代湖畔の旧高松宮御別邸の庭園で実施しました。
この御別邸は洋館の天鏡閣の離れとして建設、皇族方の避暑地として利用され、戦後は福島県迎賓館として、一般に開放されました。

このような場所でキャンプをするなど、思いもよらない場所でしたが、
あっさり許可され、新潟連盟の西蒲原第1隊と合同キャンプとして、
8月9日から13日まで実施しました。ただ、やたらマムシが出没するので、
スカウトが咬まれないかと、指導者は大変気を遣いました。

8月9日、8時に西蓮寺に集合、スカウト29名にリーダーは大川原賢吉、
馬場俊男、秋月鏡観先生、私の4名でした。七日町駅から列車に乗車、
翁島駅から、荷物はオート三輪車に載せて運びました。長浜で昼食、
その間にリーダーは実地踏査をしてから設営、夜はキャンプファイヤーを実施。

10日、6時に起床、キャンプ・サイトはものすごいジャングルで、
新入隊員も開拓作業に頑張りました。午前は簡易測量の講義とソング。
午後は長浜まで降りて水泳訓練、ボートを2艘借りて交代で漕ぎました。
夜はキャンプファイヤー。リーダーは五十嵐英雄、石井久雄、大橋淳也君と私。

11日、この日は父兄訪問日なので、馬場君と2人で長浜まで迎えに行きました。
9時ごろ父兄の一団が到着、西瓜など沢山の土産を戴きました。
午後は芝生でゲームを実施して、それから長浜で水泳訓練。
長浜では耶麻第1隊のスカウトがキャンプしていました。
夜、斎藤藤寿君が到着してキャンプファイヤー。

12日、晴天で芝生の上で、講義とハンドクラフト、結索法を実施、
水泳の予定でしたが、天候が悪化したのでテントの整備をして、
夜のキャンプファイヤーは中止しました。

13日、起床後直ちに撤営開始、朝食はうどんを食べ、11時に撤営状況を点検、
直ちに出発しましたが、テントは昨夜の雨で大変重くなっていました。
長浜から貸切りバスで翁島駅へ行き、駅の前で昼食を食べ、
1時50分の列車で会津若松駅向かい、西蓮寺でお参りをして解散しました。

キャンプを実施した御別邸は、福島県迎賓館として使用されているので、
邸宅とその周辺は美しく整備されていましたが、キャンプ・サイトの地域は、
人の手の入っていないジャングルで、木の枝に大きなナメクジが横たわり、
その上、毒蛇のマムシが顔を出すという状態でした。

マムシは、滋養強壮の漢方薬として用いられ、800円で売れるというので、
マムシを見つけると、スカウトたちは「800円が居たぞ」と騒いでいました。

キャンプ・サイトは急な斜面で、深い藪をかき分けて降りますと、
国道49号線の湖岸通りに出ます。乗用車やバス、トラックが行き来しており、
夜になるとその騒音がテントまで聞こえてきました。

ハチス、70年の歴史の中で、最もユニークなキャンプだったと思っています。

平成31年3月13日
  ハチス団委員 赤城良一