ハチス 思い出話(95)

鏡観先生の誕生日

3月6日は、ハチスの創始者、秋月鏡観先生の誕生日で、
ハチスのBP祭とでも言うべき日なのです。

ところで日本では、昭和20年まで、天皇陛下の誕生日4月29日を、
「天長節」といって、国民の祝日として祝っていました。戦後は、
「天皇誕生日」と名称が代わり、「天長節」という名称はなくなりました。

昭和天皇が崩御されてからは、今上天皇の誕生日12月23日が、
「天皇誕生日」となり、現在に至っています。

天皇の誕生日が「天長節」と言っていたとき、皇后陛下の誕生日は、
「地久節」という祝日とされていました。昭和天皇の皇后陛下は、香淳皇后で、明治36年3月6日が誕生日で、昭和20年まで祝日としてお祝いしていました。

秋月鏡観先生は大正4年3月6日のお生れで、「地久節」の日が誕生日でした。
いま、ベーデンパウエルの誕生日、2月22日のをBP祭として祝っていますが、
この3月6日も、ハチスの特別の祝日として、○○祭と名付けて、
意義あるプログラムを実施するのはどうでしょうか。

平成10年、ハチスが創立50周年を迎えたとき、「ほねぶと50」という、
記念誌を発行しました。この中に「秋月鏡観先生とスカウティング」という、
鏡観先生の伝記を掲載、その前文に、私の拙文を載せましたのでご覧下さい。

『ボーイスカウト運動の創始者ベーデンパウエル卿は、
イギリス陸軍の軍人でインドや南アフリカにおいて活躍した。
ボーア戦争が終ってイギリスに帰ってきたベーデンパウエル卿は、
青少年たちが喫煙をしながら背中をまるめ、無気力にたたずんでいる姿を見て、
イギリスの将来に大きな不安を感じ、ボーイスカウト運動を始められた。

わが秋月鏡鏝先生も、日本陸軍将校として従軍され、終戦直前に復員されたが、
廃墟となった都市の中で、戦災孤児たちか浮浪児となって、
見捨てられている姿を見て、日本復興のためには、
青少年の健全育成が必要と考えられ、
ボーイスカウト運動の再建に立ち上がられた。
その姿はまさにベーデンパウエルそのものと言ってよい。』
 
平成31年3月6日
  ハチス団委員 赤城良一

平成6年・天神浜でベンチャーの前で