ハチス 思い出話(93)

「ハチスの巣」建設

ハチスの本部である西蓮寺の門を入ると、左側の塀に沿って、
蔵造りの小さな納骨堂がありました。ハチスが誕生したばかりの頃は、
このお堂を倉庫代わりに、テントや鍋、スコップなどを収納していました。

数年経って、納骨堂を倉庫代わりに使用するのは良くないと、
本堂の裏に仮の小屋を建てて利用していました。ところが、
ハチスのスカウト数も増え、活動も活発になりますと、テントも大型になり、
工具、炊事用具も大型になり、仮設の小屋では、収まらなくなってきました。

平成4年になって、団委員会やリーダーから、活動資材を収納する倉庫や、
スカウトが班活動などにも利用できる、スカウト・ハウスを建設したい、
という話が持ち上がりました。団委員の石井久雄君から、西七日町に、
石井久雄君が所有する空き地があるので、そこに建てても良いとの話があり、
僅かな賃借料でお借りすることになりました。

建物は、スカウトの土田浩利君のお父さんが、工務店を経営しておられ、
百万円程度の、格安の工費で引き受けて下さいました。資金は、
団の積立金のほか、団委員やOBスカウトなどの寄付金を充てました。

こうして9月20日、建設現場で地鎮祭を挙行する運びとなりました。
11時30分から、スカウト、指導者、団委員など、20名ほどの参列のもと、
諏訪神社宮司諏訪修一君に、御祓いをしてもらいました。宮司の諏訪君は、
元ハチスのスカウト友田修一君で、活発な活動をしていました。

建築工事は順調に進み、11月に見事に完成しました。11月22日午前11時から、
新築なったスカウトハウスの前で、スカウト、指導者、父兄の参列のもと、
盛大に落成式を行い、ハウスには「ハチスの巣」と命名しました。

落成式では、土地を提供した石井久雄君や、建築した土田工務店など、
功労者に感謝状が贈呈されました。落成式終了後、スカウトや出席者一同、
日新コミュニティーセンターに移動して、12時30分から、
落成祝賀会を開催して、完成を祝いました。

この落成式には、会津若松市教育委員会に出席の招待状を送りましたが、
当日は、福島県市町村対抗の駅伝大会があり、その応援に出かけるので、
出席できないとの回答があり、教育委員会からの出席者はありませんでした。
団委員長の秋月鏡観先生は、民間活動の軽視だといって憤慨していました。

平成31年1月27日
  ハチス団委員 赤城良一