ハチス 思い出話(92)

ギルウェル実修所

今上天皇のご退位により、平成の時代も、4月末で終ることになりました。
ハチスも、新しい年に向けて、登録準備にご苦労をかけております。
私も年「セーフ・フロム・ハーム」の修了に取り組みました。

ところで、指導者の研修にはいろいろな研修会がありますが、現在の日本では、
ウッドバッジ実修所が最高の研修会となっています。ウッドバッジというのは、
創始者べーデン-パウエル卿が、アフリカの部族から贈られた、
木製の数珠の首飾りから、数珠2個ずつを、革紐で通して造ったものです。

1919年に、イギリスのギルウェル・パークで、指導者訓練を実施したとき、
訓練修了者に、このウッドバッチを贈ったのがはじまりです。

ギルウェル・パークは、ロンドン東部のエッピングの森にある公園で、
マクラーレンという人が1万ポンドで購入して、英国ボーイスカウト連盟に、
指導者訓練場として寄贈されたものです。

ウッドバッジと同時に授与されるネッカチーフには、
四角形の布が縫いつけてありますが、これはマクラーレン家のキルトの紋様で、
野営場を寄贈した好意に対する、感謝の印といいます。

このギルウェル実修所は、ベーデンパウエルの直伝の実修所として、
スカウティングの神髄を究めようと、世界中から指導者が研修に訪れました。
福島連盟からも、昭和40年に、事務局長の宮崎善宣先生が入所されました。
日本連盟でも、昭和32年からギルウェル実修所を開設、
イギリスのギルウェル実修所と、同じ内容のプログラムで実施していました。

昭和34年、日本連盟から秋月鏡観先生に電話があり、
「是非、ギルウェル実修所に入所して下さい」という要請がありました。
鏡観先生は、わざわざイギリスまで出かけるのは大変だと思いましたが、
聞けば、那須野営場で行われる日本ギルウェルと知り、早速入所されました。

鏡観先生が入所されたのは、第4期少年部で、昭和36年には、私も勧められて、
第6期少年部に入所しました。このとき鏡観先生は所員として指導されました。
研修期間は8泊9日という長期間で、中には1泊の班旅行があったり、
高度な作業の課題もあり、年配の指導者には相当ハードだったと思います

2年後の第8期ギルウェル実修所には、私も所員として奉仕しましたが、
所員の黒本と言われる「DCC(Depty Camp Chiefs)ハンドブック」を、
鏡観先生からお借りして、全文を書き写しました。
PDFに収めてありますので、興味があれば提供します。

この日本ギルウェルは、イギリスのギルウェル実修所と同じ内容でしたので、
日本で展開しているスカウティングとは、かなり内容が異なっていました。
例えは、カブ・スカウトは、ウルフ・カブと言い、プログラムも、
キプリングの「ジャングル・ブック」の物語りを、題材にしていました。

日本のスカウティングは、アメリカ連盟の指導によって展開されたので、
カブ・スカウトは、「足柄山ものがたり」をハンドブックにしていました。
シニア隊やローバー隊も、ギルウェルとは異なっているので、
組織もプログラムも日本の現状に合わせ、日本ギルウェルという名称を改め
ウッドバッチ実修所として現在にいたっています。

他の国々も、訓練対象や内容が多様になり、大きく変化していますので、
それぞれの実情に応じて、ウッドバッチ・コースを開設していると思います。
そして、ウッドバッジ訓練修了者には、証明書、ネッカチーフ、
ネッカチーフ留め(ウォグル)、それにウッドバッジが与えられています。

皆さんも、できれば、思い切ってウッドバッチ実修所に入所してみて下さい。
自分の人生に対する貴重な体験になると思います。

余談ですが、世界標準時のグリニッジ子午線が、ギルウェル・パーク場内を、
通っているそうです。

平成31年1月23日
  ハチス団委員 赤城良一