ギルウェル実修所
今上天皇のご退位により、平成の時代も、4月末で終ることになりました。
ハチスも、新しい年に向けて、登録準備にご苦労をかけております。
私も年「セーフ・フロム・ハーム」の修了に取り組みました。
ところで、指導者の研修にはいろいろな研修会がありますが、現在の日本では、
ウッドバッジ実修所が最高の研修会となっています。ウッドバッジというのは、
創始者べーデン-パウエル卿が、アフリカの部族から贈られた、
木製の数珠の首飾りから、数珠2個ずつを、革紐で通して造ったものです。
1919年に、イギリスのギルウェル・パークで、指導者訓練を実施したとき、
訓練修了者に、このウッドバッチを贈ったのがはじまりです。
ギルウェル・パークは、ロンドン東部のエッピングの森にある公園で、
マクラーレンという人が1万ポンドで購入して、英国ボーイスカウト連盟に、
指導者訓練場として寄贈されたものです。
ウッドバッジと同時に授与されるネッカチーフには、
四角形の布が縫いつけてありますが、これはマクラーレン家のキルトの紋様で、
野営場を寄贈した好意に対する、感謝の印といいます。
このギルウェル実修所は、ベーデンパウエルの直伝の実修所として、
スカウティングの神髄を究めようと、世界中から指導者が研修に訪れました。
福島連盟からも、昭和40年に、事務局長の宮崎善宣先生が入所されました。
日本連盟でも、昭和32年からギルウェル実修所を開設、
イギリスのギルウェル実修所と、同じ内容のプログラムで実施していました。
昭和34年、日本連盟から秋月鏡観先生に電話があり、
「是非、ギルウェル実修所に入所して下さい」という要請がありました。
鏡観先生は、わざわざイギリスまで出かけるのは大変だと思いましたが、
聞けば、那須野営場で行われる日本ギルウェルと知り、早速入所されました。
鏡観先生が入所されたのは、第4期少年部で、昭和36年には、私も勧められて、
第6期少年部に入所しました。このとき鏡観先生は所員として指導されました。
研修期間は8泊9日という長期間で、中には1泊の班旅行があったり、
高度な作業の課題もあり、年配の指導者には相当ハードだったと思います
2年後の第8期ギルウェル実修所には、私も所員として奉仕しましたが、
所員の黒本と言われる「DCC(Depty Camp Chiefs)ハンドブック」を、
鏡観先生からお借りして、全文を書き写しました。
PDFに収めてありますので、興味があれば提供します。
この日本ギルウェルは、イギリスのギルウェル実修所と同じ内容でしたので、
日本で展開しているスカウティングとは、かなり内容が異なっていました。
例えは、カブ・スカウトは、ウルフ・カブと言い、プログラムも、
キプリングの「ジャングル・ブック」の物語りを、題材にしていました。
日本のスカウティングは、アメリカ連盟の指導によって展開されたので、
カブ・スカウトは、「足柄山ものがたり」をハンドブックにしていました。
シニア隊やローバー隊も、ギルウェルとは異なっているので、
組織もプログラムも日本の現状に合わせ、日本ギルウェルという名称を改め
ウッドバッチ実修所として現在にいたっています。
他の国々も、訓練対象や内容が多様になり、大きく変化していますので、
それぞれの実情に応じて、ウッドバッチ・コースを開設していると思います。
そして、ウッドバッジ訓練修了者には、証明書、ネッカチーフ、
ネッカチーフ留め(ウォグル)、それにウッドバッジが与えられています。
皆さんも、できれば、思い切ってウッドバッチ実修所に入所してみて下さい。
自分の人生に対する貴重な体験になると思います。
余談ですが、世界標準時のグリニッジ子午線が、ギルウェル・パーク場内を、
通っているそうです。
平成31年1月23日
ハチス団委員 赤城良一
第6期ギルウエル実修所・秋月先生と 第6期ギルウエル実修所・ボーイ・那須
第7期ギルウエル実修所・講義 第8期ギルウエル実修所・朝礼
第8期ギルウエル実修所・タイヤくぐり 第8期ギルウエル実修所・戦車競走