ハチス 思い出話(85)

ハチスの50周年式典

平成10年、ハチス・ボーイスカウトは創立50周年を迎えました。
昭和20年8月、日本は戦争に敗れ、都会には浮浪児があふれ、
日本社会は混乱の極に達していました。

西蓮寺の秋月鏡観先生は、敗戦で希望を失った子どもたちのために、
子ども会を作り、プログラムにスカウティングを取り入れ、
ボーイスカウト隊として本格的な活動を始めました。

昭和24年には日本連盟、福島連盟も結成され、ハチス隊も加盟登録をし、
名実共に、ボーイスカウト隊として歩みはじめました。

それから50年、日本連盟では、50年間継続して登録した団の表彰に、
団登録50年旗を授与することにしました。この年の福島連盟の表彰団は、
福島第1団(相馬)、福島第2団(ハチス)の2個団だけでした。

前回の30周年のときは、記念事業としてカブ・スカウト隊の結成をしましたが、
今回はビーバー・スカウト隊を結成することになり、準備をはじめました。
こうして、平成10年10月4日、会津若松市のサンピア会津(現大江戸温泉)で、
ボーイスカウト福島第2団50周年式典が挙行されました。

正午から受付開始、福島県知事佐藤栄佐久連盟長、山内日出夫市長も出席され、
友団の指導者、スカウトも続々と集まってきました。

午後1時、隊旗集団が入場、秦君の「スカウトコール」のファンファーレ演奏、
菅家一郎育成会副会長(現衆議院議員)の開会の辞で、開式となりました。

国旗儀礼などのあと、スカウト代表徳田成浩君によるおきて唱和、
秋月亨団委員長、五十嵐康善育成会会長が、主催者挨拶を述べました。
そして、佐藤栄佐久福島県知事福島連盟長、山内日出夫会津若松市長、
加藤卯一福島連盟副理事長から祝辞を戴きました。

副団委員長の私から「第二団のあゆみ」を述べたあと、功労者の表彰を行ない、
そのあと、出来たばかりの「団歌」を、声高らかに歌いました。
続いて、赤城史朗団委員から、新たに誕生したビーバースカウト隊の紹介をしました。

続いて、ボーイ隊代表宮森拓也君、ベンチャー隊代表古田直之君から
「五十周年を迎えて」という、力強い決意表明がありました。
最後にベンチャー隊長赤城圭一君が弥栄三唱を行ない、
「歓喜に寄する頌」を斉唱して、宮森浩育成会副会長が、
閉式の辞を述べて式典は無事終了しました。

2時30分ごろ式典が終わって、会場の入口で、全員で記念撮影をして、
続いて、別室で祝賀会を開催しました。県外からOBの遠藤蓁、大橋淳也、
鈴木正顕、山口隆美君らも出席され、ハチスの発展を祈って乾杯をしました。

あの日から20年の月日が経ち、今年は創立70年を迎えました。
現在のスカウト数などを見れば、50周年のような式典は無理と思いますが、
何らかの記念行事があってほしいと思っています。

平成30年11月13 日
  ハチス団委員 赤城良一