ハチスの記念誌
ハチスが誕生してから、今年で70年になります。昭和53年には30周年式典を、
平成10年には創立50周年式典を挙行しました。そして30周年には、
記念誌「はちすのあゆみ」を、50周年には「ほねぶと50」を作成しました。
「はちすのあゆみ」については、思い出話(64)で述べていますので、
今回は、50周年記念誌「ほねぶと50」について触れたいと思います。
ハチス創立50周年の記念行事を実施するにあたって、団では、
各種委員会を組織して準備を進めました。記念誌編集委員会には、赤城良一、
石井久雄、諏訪修一、古田孝四、洪山慎子、宮森浩、石井淳一の、
7名で担当しました。
このうち、古田孝四君は、デザインの専門家で、「はちすのあゆみ」は、
記録中心の編集だったので、今回は写真などを中心とした、
見て楽しい記念誌にしたら、との提案がありました。
特に、前回は、松平勇雄連盟長や高瀬喜左衛門会津若松市長から、
祝辞を戴いて掲載しましたが、今回は、直接お目にかかって、
お話しをお聞きし、それを掲載することにしました。
日本連盟総長渡邉昭先生のインタービューには、カブスカウト薄久美子、
ボーイスカウト今野晴任、ベンチャー秦一弘、ボーイ隊長石井淳一君と私が、
東京・靖国神社近くのご自宅にお伺いして、お話しをお聞きしました。
佐藤栄佐久福島連盟長には、カプスカウト五十嵐雄治、ボーイスカウト薄丈朗、
ベンチャー渡部元人、ボーイ隊長石井淳一君と私が、本宮市運動公園で行われた、
スポーツ大会のとき、インタービューしました。
山内日出夫会津若松市長には、市役所の市長室で、カブスカウト菅家佑大、
ボーイスカウト秦篤史、ベンチャー古田直之、ボーイ副長新城淳君と私が、
お話しをお聞きしました。
ところが、ハチスの創始者秋月鏡観先生が、この50周年式典を迎える直前、
平成7年12月16日に、この記念すべき盛典を見ることなく逝去されました。
「ほねぶと50」は、鏡観先生を偲ぶ記念誌にもなったのです。
10ページにわたって、伝記「秋月鏡観先生とスカウティング」と、
多くの指導者から寄せられた、思い出の言葉「鏡観語録」を掲載しました。
「特に『実践躬行 精究教理 道心堅固』を力説されたことに、
感銘を受けました。郡山市国馬善郎」などが、その一例です。
また、「歌うハチス隊」が合言葉のハチスに、団歌がありませんでしたが、
漸く団歌が誕生しました。公募で団委員の諏訪修一君の詩が採用され、
五十嵐康善育成会長の奥さんの、五十嵐嘉余子さんが作曲されました。
そして、楽しい記念誌にするため、最近の活動状況の写真を豊富に掲載し、
OBの思い出の原稿や、カブ、ボーイたちの各班ごとの寄せ書きなど、
変化に富んだ編集になりました。そして、明日のボーイスカウト運動について、
指導者の座談会が行われ、117ページにもなる、豪華な記念誌となりました。
平成30年10月8日
ハチス団委員 赤城良一
ハチス50周年記念誌インタビュー・渡辺総長 ハチス50年誌・編集会議・自宅
ハチス団歌 記念誌