ハチス 思い出話(78)

竹内和夫君が来宅

9月7日の夜、赤城圭一君が竹内和夫君を伴って、拙宅を訪れました。
竹内和夫君は、現在、ボーイスカウト神奈川連盟の副コミッショナー、
何十年ぶりかの再会でした。

竹内和夫君については、「思い出話(55)稲葉睦美氏のこと」で述べた通り、
昭和53年、会津工高電気科卒業ですので、私の教え子でもあります。
在学中は、行仁地区の福島第7団で、スカウトとして活動していました。

卒業後は、神奈川連盟のゴールデン・アックスの稲葉睦美氏の門を叩き、
稲葉氏の指導を受けながらスカウティングに励みました。
熱心に活動していた竹内君は、次第に、地区の役員に起用されるようになり、
神奈川連盟の副コミッショナーに就任するようになりました。

ところが、竹内君は、副コミッショナーに就任して間もなく、
会社の人事異動で、アメリカの事業所に転勤することになり、渡米しました。
そこでも彼は、アメリカのスカウターとして活躍、その様子は、
画像として、たびたび、私のメール・アドレスに送信してくれました。

この情報は、ハチスをはじめ、福島連盟の方々にも転送しましたで、
ご覧になった方も多いと思います。

その後は、会社の技術指導のため、たびたび海外に出張するようになり、
地球を何周もするような仕事をしたと言っていました。
常にボーイスカウトとしての心構えで仕事に励んでおり、
スカウト活動をするときも、特に会津のスカウトであることを誇りとして、
行動していると言っていました。
まさに、スカウトの中のスカウトという印象を受けました。

いつか、彼の人生観、スカウト観を、会津地区の指導者の皆さんと、
聴く機会を持ちたいと考えています。

平成30年9月11日
  ハチス団委員 赤城良一