ハチス 思い出話(77)

秋月恭子さんご逝去

8月21日、ハチス団本部、西蓮寺の元坊守の、
秋月恭子さんがご逝去されました。満96歳でした。

恭子さんは、ハチスボーイスカウトの創始者、秋月鏡観先生の奥様で、
現副団委員長慧観さんの祖母に当たります。恭子さんは北海道のご出身で、
昭和19年に鏡観先生とご結婚されました。

昭和20年、日本が戦争に負け、社会が混乱状態にあったとき、
鏡観先生は近所の子どもたちを集め、スカウティングを始められました。
そして、23年には、ボーイスカウト隊として、ハチス隊がスタートしたのです。

また、鏡観先生は、ボーイスカウト日本連盟結成の一員として、
度々、東京に出かけられ、三島通陽先生らと協力し合い、
日本連盟の誕生に貢献されました。

たのため、鏡観先生は、たびたび西蓮寺を留守にされましたが、
この間、恭子さんは西蓮寺の坊守の役を、お務めになりました。
一方、スカウトたちは、西蓮寺の墓地の中で、遠慮なく活動していましたが、
こうした状況を、恭子さんは、暖かく見守っておられたのです。

恭子さんは、スカウトたちにとってお母さんのような存在で、ハチスが、
活発な活動をする隊に育ったのも、恭子さんの力の賜物と思っています。

恭子さんは、高齢のため、最近は病院に入院され、療養されておられましたが、
20日午前10時、静に永眠されたのです。今後の日程は、
通夜  8月27日  午後6時 西蓮寺
葬儀  8月28日  午前11時30分  西蓮寺  です。

皆さんと一緒に、お見送りしたいと 思っています。

この「ハチス 思い出話」も、このため、しばらくの間、お休みにいたします。

平成30年8月22日
  ハチス団委員 赤城良一