ハチス 思い出話(76)

子供会育成への協力

連日の猛暑で、ぐったりして、家の中でテレビを見ながらの毎日、
思い出話を綴る意欲も湧かず、一ヶ月以上経ってしまいました。
漸く、秋の気配が感じられるようになり、
ぼつぼつ再開したいと思いますので、ご愛読ください。

十五日は、73年目の「全国戦没者追悼式」が挙行され、
当時のことを想い出しておりました。

昭和20年のこの日までは、B29爆撃機の空爆に怯えていたのが、
一転して平和の日となり、その変化に戸惑うばかりでした。
秋月鏡観先生は、これからの日本を背負うのは青少年だと,
いち早くハチス隊を創立され、スカウティングの訓練を開始されました。

一方、会津若松市教育委員会も、まず青少年の健全育成をと、
各町内に子供会の結成を勧め、誕生が相次ぎました。
しかし、教育委員会も初めての体験で、各団体とも試行錯誤の活動でした。

こうした中で、各団体から情報交換、研究協議の場をとの要望が相次ぎ、
昭和27年12月、子供会27団体、ボーイスカウト3個隊が参加して、
「少年少女連絡協議会」が結成されました。

ボーイスカウトの指導者は、それまで指導者講習会で研修を受けていたので、
育成会の組織、指導者のあり方、班活動の方法、プログラムの立案など、
子供会にも役立つ手法を体得していたので、協議会の場で紹介するなどして、
活発な運営が始まりました。

協議会では、子供会の活動を活発するには、班活動が重要と考え、
昭和28年、班長となる子どもを育成しようと、指導児講習会を行いました。
集まった子どもたちは320名にも達したため、市内を七つの地区に分けて実施、
さらに、一期、二期、三期と、参加回数に応じて、指導内容を深めました。

私たちボーイスカウト指導者は、班活動の重要性を強調したこともあり、
これらの講習会に、スタッフとして全面的に奉仕しました。
お蔭で多大の成果を挙げ、講習会を受講した子どもたちも成長して、
昭和35年には「子供会リーダー研究会」が誕生しました。そして、
この講習会の運営は、ボーイスカウトからリーダー研究会に委ねられました。

平成30年8月17日
  ハチス団委員 赤城良一