ハチス 思い出話(75)

最後の日本ジャンボリー

「SCOUTING」七月号が届き、第17回日本ジャンボリーのことが載っていて、
日本ジャンボリーも、17回目を迎えたのかと、感慨無量の思いで読みました。
最後のジャンボリーと言っても、私にとって最後のジャンボリーで、
平成14年に開催された、第13回の大阪・舞洲のジャンボリーが最後でした。

思えば、
昭和31年 第1回長野県・軽井沢のジャンボリーを最初に、
昭和34年 第2回滋賀県・饗庭野、
昭和37年 第3回静岡県御殿場市・滝ヶ原、
昭和41年 第4回岡山県・日本原、
昭和45年 第5回静岡県富士宮市・朝霧高原、
昭和49年 第6回北海道・千歳原、
昭和53年 第7回静岡県御殿場市・滝ヶ原、
昭和57年 第8回宮城県白石市・南蔵王、
昭和61年 第9回宮城県白石市・南蔵王、
平成 6年 第11回大分県竹田市・久住高原、
平成10年 第12回秋田県・森吉山麓、
平成14年 第13回大阪市・舞洲までの、12回のジャンボリーに参加しました。

第10回の新潟県妙高市・関山演習場のジャンボリーは、
私が定年退職をした直後だったので、残念ながら参加出来ませんでした。
平成18年第14回石川県珠洲市の時は、私は77歳の喜寿を迎えており、
慶事もありましたので、ジャンボリー参加は断念しました。

これらのジャンボリーには、それぞれ忘れられない思い出があり、
その他にも、東北野営大会、福島県野営大会などのキャンポリーなどにも、
ハチスのスカウトの活躍があり、思い出すまま紹介したいと思っています。

私が初めてキャンプを体験したのは、思い出話(2)で紹介した、
白虎少年団に入団した小学校4年生の夏、猪苗代湖畔の小石が浜でした。

昭和22年にハチス・ボーイスカウトが誕生してからは、隊キャンプをはじめ、
県野営大会、東北野営大会などに参加して、これまで毎年のように、
キャンプに参加していました。

最近は足が弱くなり、残念ながら、キャンプ生活は困難になりました。
これからは、これまでの70年間の、ハチスの活動の思い出を述べることで、
少しでも、指導者の皆さんの活動の参考になればと思っています。
 

平成30年7月3日
  ハチス団委員 赤城良一