ハチス 思い出話(73)

第2回日本ジャンボリー

昭和31年8月、長野県軽井沢で、第1回日本ジャンボリーが開催されました。
このときの大営火で、ハチスを中心とした会津隊は、白虎隊の剣舞を披露し、
満場の喝采を浴びました。その3年後の昭和34年には、琵琶湖畔の饗庭野で、
8月6日から10日まで、第2回日本ジャンボリーが開催されました。

第1回の参加者が13,000名だったのに対して、第2回は16,955名になりました。
大営火では、前回の好評に応えて、会津地区は再び白虎隊剣舞の演技を行い、
大いに気勢をあげました。野外劇場で行われたスカウトショーでは、
相双地区のスカウトが、相馬野馬追いの大ページェントを繰り広げ、
甲冑を着けた騎馬武者が登場し、観客席のスカウトから大喝采を浴びました。

4日目には大行進が行われましたが、折悪しく前日から台風6号が襲来して、
横なぐりの強風の中で行われました。しかし、スカウトは元気一杯、
風雨をものともせず、堂々の行進をしました。
視閲台にお立ちの皇太子殿下(現・天皇陛下)も、ずぶ濡れになられながらも、
最後までスカウトの行進を見守られました。

この大会では、私は施設資材部員として奉仕、夜の行事の投光機の設置、
操作に当たりました。投光機には、20キロワットと10キロワットの、
巨大な電球が入っていましたが、途中で、その電球が切れるなどの、
アクシデントがあり、大変苦労しました。

ジャンボリーが終わったあと、ハチス隊は京都に立ち寄り、
平安神宮や清水寺、金閣寺、本願寺などの観光をしてから、列車で帰途に就きました。
東海道本線の醒ヶ井駅まで来たとき、台風で増水した川が溢れて、
線路まで浸水してきました。列車は前進することができず駅に臨時停車、
列車から川を眺めていると、家屋が洪水に流されていく場面も見られました。

前進不能となった列車は、一旦、米原駅まで後退して回復を待つことになり、
丁度24時間遅れで福島に帰ってきました。列車の中に閉じ込められた私たちは、
夜、朝、昼の3食とも、途中の駅で、炊き出しの有り難い弁当を頂きました。

平成30年6月15日
  ハチス団委員 赤城良一