ハチス 思い出話(71)

12回世界ジャンボリー(4)

ザイオン国立公園の見学の後、ロサンゼルスに向かいました。
途中、深夜の12時ごろラスベガスに到着、1時間ほど休憩というので、
町の見物に出かけました。ラスベガスはまさに不夜城、カジノが建ち並び
中に入って見たら、白髪の老婦人がスロットル・マシンを操作していました。

8月19日の朝、ロサンゼルスに到着、ここで日本派遣団320名全員の写真撮影、
そして、ホスト・ファミリーと対面、私は一人でノーム氏に引き取られました。
英語の苦手な私は大弱り、単語を並べるだけの会話で、込み入った内容の時は、
キーム夫人が、日系人の知人に電話して、通訳してくれました。

午後は、早速ノーム氏と息子のトムと3人で、ハリウッドに出かけ、
ユニバーサル・スタジオの見学をしました。ここは、現在は撮影は行われず、
見学用のトレーラーに乗って、映画のセットなどを見学しました。

夕方、ドーシイ夫人も加わり、ディズニーランドの見学に出かけました。
10年ほど前に開園した施設は、日本のディズニーランドとほぼ同じで、
特に、開設されたばかりの「イッツ・ア・スモールワールド」では、
世界中の子供の人形が、お国の言葉で揃って歌う姿に、強い感動を受けました。

8月20日午後、ノーム氏とトムと3人でドジャース球場に行き野球見物、
ネット裏の3階の席から見物しましたが、ドジャースとブレーブスの試合で、
リーグ2位のブレーブスに、6位のドジャースが逆転で勝ち、大喜びでした。

この日は、アメリカの日系人のお祭りの「にせい祭」が開催され、午後4時、
日本派遣団は全員ロサンゼルス街に集合、祭に参加しました。
半数の4ヶ団は、制服での行進、第8団を含む4ヶ団は、浴衣姿で盆踊りのパレードをしました。
パレードの先頭の山車に、歌手の雪村いづみさんが立ち盛り上りました。

8月21日の朝、派遣団全員がロサンゼルス・シティホールに集結、玄関前で、
日本派遣団の歓迎レセプションが行われました。日米双方の代表の挨拶があり
続いて、ロサンゼルス第371隊のドラム・ビューグルの演奏が行われました。
この隊は、日系人スカウトで編成され、全米コンテストで優勝した隊で、
第3回日本ジャンボリーにも参加した、おなじみの隊なのです。

歓迎行事のあと、8台のバスを連ねてヨセミテ国立公園に向かい、
陽が沈むころ公園に設置されたテント造りのロッジに入りました。
8月22日の朝、公園の森を散歩していると、ヨセミテの滝が見えてきました。

ヨセミテも渓谷の公園で、岩山の頂上は半球型で、ハーフドームと言います。
岩山は1470mあり、ヨセミテの滝は、北米で最も高い滝で、高さ739mもあり、
上の滝と下の滝の2段になっています。ヨセミテの滝は、季節によって、
滝に夕陽か当り、流れ落ちる水が真っ赤に染まり、火山の溶岩の流れのような、
ファイヤー・フォール(火の滝)という、珍しい現象か起きるといいます。

ロッジに戻って昼食をとり、サクラメントに向かいました。午後6時ごろ、
西本願寺の別院に到着、ここで、オットー氏宅に、副長の菊田裕章氏と二人で、
お世話になりました。8月25日、オットー氏の案内でコロマという町に行き、
「おけいの墓」を参拝、僧侶の菊田祐章氏にお経を挙げてもらいました。
このことは、「ハチス思い出話(12)」の、「アメリカでの誕生日」で、
詳しく述べましたので、再読してして下さい。

サクラメントはカリフォルニア州の州都で、キャピトルという州庁があります。
当時の州知事はレーガン知事で、後にアメリカ大統領になりました。
このときは残念ながら不在でした。しかし、知事の執務室や、議事堂など、
を見学することが出来ました。

8月26日朝、第8団が集合して9時半に、サンフランシスコ空港に向かって出発、
日本航空のDC-8旅客機に搭乗、午後3時ハワイのホノルル空港に着陸しました。
ホノルルでは、米海軍基地の兵舎に宿泊することになり、夕方、
指導者は日本領事館主催の、レセプションに出席しました。

翌8月27日はオアフ島を観光、米軍墓地のパンチボールを見学、フラダンスは、
日曜日で海岸では行われず、イリカイ・ホテルの館内で鑑賞しました。
28日午後5時、ホノルル空港を離陸、日付変更線の通過で日付が替わり、
29日夜、9時半に羽田空港に着陸、無事帰国しました。

平成30年5月27日
  ハチス団委員 赤城良一