ハチス 思い出話(68)

12回世界ジャンボリー(1)

昭和42年8月、アメリカで、第12回世界ジャンボリーが開催され、
私も参加しました。4年後の13回ジャンボリーを、日本に誘致するため、
施設・設備の状況を調査するため、電気関係の技術者を派遣するというので、
鏡観先生が私を推薦して下さったのです。

参加するには、学校の休暇をとる必要がありましたが、鏡観先生は3月18日に、
わざわざ学校に来て、校長を説得して下さったのです。派遣が決定すると、
早速、準備訓練、3月27日から、那須野営場で指導者の訓練が始まりました。

訓練は実修所と同様に、テント生活で、規律訓練や炊事の実習、
夜はジャンボリー会場の様子や、閉会後の行動などの説明が行われました。

3月29日の最終日は、全員バスを連ねて国立磐梯青年の家に移動、
ジャンボリーに参加するスカウト全員が集合して、合同訓練を行うので、
その受け入れ準備をしました。バスが、中山宿から上戸に入ると、
眼前に磐梯山の雄姿が現れ、車内ではおーっ」という、歓声が挙がりました。

翌30日には、320名の指導者・参加スカウト全員が集合、10時30分から、
講堂で開会式が行われました。派遣団は40名ずつの8ヶ団、私は、
愛知、石川、岐阜県などで編成された、第8団の本部員となりました。

福島連盟からの参加スカウトは、次の4名でした。
  福島第2団年長隊(ハチス)     東  誠一
  福島第15団年長隊(会津若松第2団)  山室 渡
  福島第10団少年隊(郡山第1団)    櫛  泰典
  福島第10団年長隊(郡山第1団)    増子 真也

このほかに、ハチスの元団委員長の遠藤外与人先生が、
日本連盟から副派遣団長として参加され、元福島第10団指導者の西田徹氏が、
日本連盟職員から派遣され、心強く思ったものでした。

訓練は、那須野営場の指導者訓練と同様の内容でしたが、
歌手で作曲家の藤山一郎先生が、「いやさかわれら」という歌を、
この派遣団のために作詞・作曲され、直接指導して頂きました。

いやさかわれら   作詞・作曲   藤山一郎
1 いやさか いやさか いやさか我等 いやさか いやさか スカウト我等
  東に西に 友だちたずね      北から南 手に手をつなぎ
  世界平和を築こうよ

こうして、7月27日、会津若松駅頭で壮行会が行われ、会津を後にしました。
7月28日、東京のオリンピック青少年センターに集合、結団式を行ない、
  午後5時、全員で東宮御所に参上、皇太子殿下より派遣団国旗が授与
7月29日、出発の日、第8団は,日中東京見物、午後8時30分に羽田空港到着、
  家族、親戚に、ハチスのOBや、富士訓練帰りのスカウトに見送られ、
  ボーイングDC-8旅客機に搭乗、午後11時15分に離陸しました。

今回はここまで、次回を楽しみに

平成30年4月24日
  ハチス団委員 赤城良一