ハチス 思い出話(63)

饗庭野ジャンボリー

昭和34年8月6日から10日まで、第2回日本ジャンボリーが、
滋賀県琵琶湖畔の饗庭野(あいばの)で開催されました。饗庭野は、
琵琶湖の北部の西岸にある、自衛隊の演習地です。

第1回の軽井沢ジャンボリーの参加者が、13,000名のだったのに対して、
このときは参加者は17,000名になりました。福島連盟も地区ごとに隊を編成、
ハチスも会津隊として参加、大活躍をしました。

大営火では前回の好評に応えて、会津地区は再び白虎隊剣舞の演技を行い、
大いに気勢をあげました。また、野外劇場で行われたスカウトショーでは、
相双地区が相馬野馬追いのページェントを行い、甲冑姿の騎馬武者の登場に、
観客席のスカウトたちから大喝采を浴びました。

4日目には大行進が行われましたが、折悪しく前日から台風6号が襲来、
横なぐりの強風の中で行われましたが、スカウトは風雨をものともせず、
元気一杯の行進をしました。お立ち台に立たれた皇太子殿下も、
ずぶ濡れになられながらも、最後までスカウトの行進を見守られました。

このジャンボリーで、私は施設資材部員として奉仕、主として、
アリーナの照明を担当、照明装置の設置や操作に当たりました。照明装置は、
20キロワットと10キロワットの、巨大な電球の入った投光機を使用しましたが、
途中で、電球が切れるなどのアクシデントがあり、大変苦労しました。

ジャンボリーが終わったあと、福島連盟の隊は京都に立ち寄り、金閣寺、
平安神宮、清水寺、本願寺などの観光をしてから、列車で帰途につきました。

東海道本線の醒ヶ井駅まで来たとき、駅の北側を流れる天野川が、
台風で増水した水が溢れて浸水して、線路が冠水してきました。
列車はしばらく醒ヶ井駅で臨時停車、列車の窓から川を眺めていると、
住宅が洪水に流される場面も見られました。

線路が冠水したため、列車は前進不能となり、米原駅までバックして待機、
洪水の回復を待ち、ちょうど24時間遅れで、福島に向かいました。その間、
JRから焚き出しの弁当、三食分が提供され、無事、会津に帰ってきました。

平成30年3月22日
  ハチス団委員 赤城良一