県野営大会の中止
最近のテレビでは、「7年目のあの日」という種類の番組が放映され、
東日本大震災のニュース、特に、飯舘村の避難解除のことが報じられています。
それを見ていると、22年前の平成8年に、飯館村で、第11回福島県野営大会が、
開催される予定だったのが、直前になって突然中止したということを、
思い出したのです。
野営大会は相双地区が担当で、前の年から地区のスタッフを中心に、
会場の選定などの計画を進めていました。そして、平成8年8月2日から、
飯舘村大火山牧場で、「はばたこう明日をめざして」のテーマで、
開催することを決め、プログラム、施設資材、配給などの組織を編成して、
万全の態勢で準備に当たっていました。
ところが、開催まであと1ヶ月とせまったころ、関西地方で、
病原性大腸菌O-157による集団中毒が発生して、学校給食から感染が拡がり、
生徒に死亡者が出るという事態が発生しました。
この伝染病は、たちまち全国に拡がり、福島県内には発生していないものの、
県内での発生も、時間の問題と考えられていました。
福島連盟の医師団が現地視察をした結果、会場の牧場は牛馬の糞によって、
相当汚染されていて、万が一、参加者にO-157の患者が発生した場合、
その対応は、極めて困難だとの考えが示されました。
さらに、大会が終了した後も、参加者全員の健康状態の、
追跡検査が必要になるので、大会は中止すべきだとの結論が出されました。
大会開催直前の7月28日に、緊急に大会本部員会議を招集して、
対策について協議しました。万が一、患者が発生した場合には、
飯舘村の酪農家に、出荷停止などの事態が生ずる恐れもあり、
勇気ある撤退すべきとの意見が大勢を占め、大会を中止を決定しました。
一方、開催の準備は万端整っており、参加記章や参加ノートなども、
スカウトの手に渡っているので、第11回大会は欠番にして、
次回は会津地区において、第12回大会を実施することを決定しました。
これとは、関係ありませんが、7年前のあの日、我が家には、
増子恵二県連理事長が来宅していて、最近のボーイスカウト活動の様子などを、話していてくれていました。
ところが、歓談の最中、突然、理事長が「電話が入ったようです」と言って、
携帯電話を取り出して耳に当て、「地震がくるようです」と言った直後、
あの大地震が襲来、応接間の植木鉢が倒れてしまったのです。
増子理事長は、直ぐに職場に駆けつけましたが、我が家では、
2階の本棚の書物が全部飛び出したり、電気温水器がずれる、
ということがありましたが、食器が壊れるなどの被害はありませんでした。
平成30年3月16日
ハチス団委員 赤城良一