ギルウエル
ギルウエルといえば、実修所、そしてウッドバッチを連想します。
昭和33年のこと、秋月鏡観先生のところに、日本連盟から、
「ギルウエル実修所に入所してくれませんか」という電話がありました。
ギルウエル実修所と言えば、イギリスのロンドンのギルウエル・パークにあり、
世界中のボーイスカウト指導者が研修に入所する、最高峰の実修所なのです。
鏡観先生は、今すぐイギリスにと言われてもと、大変、困惑されました。
ところが、これはイギリスのギルウエルのことではなく、
日本ギルウエル実修所のことだったのです。日本ギルウエルは、
イギリスのギルウエルの日本版の実修所で、それまで那須野営場で、
第3期まで開催されていました。
日本連盟としては、戦後の運動再建に力を尽くされた鏡観先生が、
ギルウエル実修所を修了していないのは、他の日本連盟指導者と、
共通理解が必要と考えられたものと思います。鏡観先生は直ちに入所され、
その後は、ギルウエル実修所のスタッフとして活躍されました。
戦後、再建された日本のスカウト運動は、アメリカ連盟をお手本にしたので、
イギリスのスカウティングとは、いろいろと違っていました。
イギリスのカブは、キップリングの「ジャングル・ブック」の物語りで、
プログラムを展開していましたが、日本のカブは、金太郎の「足柄山物語」を、
テキストにしていました。
日本ギルウエル実修所は、イギリスの実修所のテキストを基に展開されるので、
その後のウッドバッチ実修所とは、大分内容が異なっていました。
所員には、イギリスのテキストの「DCCハンドブック」が配布され、
これによって実修所が運営されました。
この「DCCハンドブック」は200ページにもある大冊で、
私も勉強のために、鏡観先生からお借りして、全部書き写しをしました。
ギルウエル実修所での研修を終え、所定の事後課題を提出すると、
修了証とともに、ウッドバッチとギルウエルスカーフが授与されます。
ウッドバッチは、皆さんも知っているとおりの首飾りですが、
べーデン-パウエル卿が、アフリカの部族から贈られた、
木製の数珠の首飾りから、数珠2個ずつを革紐で通して、
修了者に授与したものです。
ギルウエルスカーフは、裏が赤で、表がグレーのネッカチーフで、
三角形の先端にある布章は、ギルウエル・パークを寄贈した、
マクラーレン家のキルトの紋様なのです。
ウッドバッチが授与されるとき、これは、実修所修了を誇示するものでなく、
折に触れて、このビーズを握り、指導者としての心得に悖ることはないかと、
反省するものと教えられました。
ボーイスカウト運動が世界中に拡がることで、それぞれの国の、
実情に合ったスカウティングが展開されるようになりました。そして、
ウッドバッチ実修所、ウッドバッチ研修所として実施されるようになり、
ウッドバッチが授与されるようになりました。
わがハチスの団委員、赤城圭一君も平成11年にウッドバッチを取得しました。
福島連盟理事会の席上で伝達式が行われ、父親の赤城史朗コミッショナーから、
スカーフとウッドバッチが授与され、伯父で理事長の私が認証を伝達しました。
平成30年3月12日
ハチス団委員 赤城良一
ギルウエル実修所・おおがらす班 ギルウエル実修所・ボーイ・那須
圭一君にウッドバッチ授与・理事会 第7期ギルウエル実修所・タイヤくぐり
第7期ギルウエル実修所・戦車競走