ハチス 思い出話(61)

ギルウエル

ギルウエルといえば、実修所、そしてウッドバッチを連想します。
昭和33年のこと、秋月鏡観先生のところに、日本連盟から、
「ギルウエル実修所に入所してくれませんか」という電話がありました。

ギルウエル実修所と言えば、イギリスのロンドンのギルウエル・パークにあり、
世界中のボーイスカウト指導者が研修に入所する、最高峰の実修所なのです。
鏡観先生は、今すぐイギリスにと言われてもと、大変、困惑されました。

ところが、これはイギリスのギルウエルのことではなく、
日本ギルウエル実修所のことだったのです。日本ギルウエルは、
イギリスのギルウエルの日本版の実修所で、それまで那須野営場で、
第3期まで開催されていました。

日本連盟としては、戦後の運動再建に力を尽くされた鏡観先生が、
ギルウエル実修所を修了していないのは、他の日本連盟指導者と、
共通理解が必要と考えられたものと思います。鏡観先生は直ちに入所され、
その後は、ギルウエル実修所のスタッフとして活躍されました。

戦後、再建された日本のスカウト運動は、アメリカ連盟をお手本にしたので、
イギリスのスカウティングとは、いろいろと違っていました。
イギリスのカブは、キップリングの「ジャングル・ブック」の物語りで、
プログラムを展開していましたが、日本のカブは、金太郎の「足柄山物語」を、
テキストにしていました。

日本ギルウエル実修所は、イギリスの実修所のテキストを基に展開されるので、
その後のウッドバッチ実修所とは、大分内容が異なっていました。
所員には、イギリスのテキストの「DCCハンドブック」が配布され、
これによって実修所が運営されました。

この「DCCハンドブック」は200ページにもある大冊で、
私も勉強のために、鏡観先生からお借りして、全部書き写しをしました。

ギルウエル実修所での研修を終え、所定の事後課題を提出すると、
修了証とともに、ウッドバッチとギルウエルスカーフが授与されます。

ウッドバッチは、皆さんも知っているとおりの首飾りですが、
べーデン-パウエル卿が、アフリカの部族から贈られた、
木製の数珠の首飾りから、数珠2個ずつを革紐で通して、
修了者に授与したものです。

ギルウエルスカーフは、裏が赤で、表がグレーのネッカチーフで、
三角形の先端にある布章は、ギルウエル・パークを寄贈した、
マクラーレン家のキルトの紋様なのです。

ウッドバッチが授与されるとき、これは、実修所修了を誇示するものでなく、
折に触れて、このビーズを握り、指導者としての心得に悖ることはないかと、
反省するものと教えられました。

ボーイスカウト運動が世界中に拡がることで、それぞれの国の、
実情に合ったスカウティングが展開されるようになりました。そして、
ウッドバッチ実修所、ウッドバッチ研修所として実施されるようになり、
ウッドバッチが授与されるようになりました。

わがハチスの団委員、赤城圭一君も平成11年にウッドバッチを取得しました。
福島連盟理事会の席上で伝達式が行われ、父親の赤城史朗コミッショナーから、
スカーフとウッドバッチが授与され、伯父で理事長の私が認証を伝達しました。

平成30年3月12日
  ハチス団委員 赤城良一