第2回北信越大会
第1回北信越大会は、戦後間もない昭和25年8月、新潟連盟が開催、
ハチスから5名が参加しました。このときは、柏崎市から長岡市へと、
会場を移動するという、奇抜なプログラムに驚かされました。
その8年後の昭和33年8月3日から7日まで、新潟連盟は第2回北信越大会を開催、
ハチスも、会津地区の各団と一緒に参加しました。
実はこの直前の7月26日から、山中野営場で年長隊富士野営が行われ、
それにも参加して、閉会後の8月1日に富士登山をして、8月2日に下山、
夜行列車で会津に向かったのです。
8月3日の朝、会津若松駅に到着しましたが、下車することなく新潟市に直行、
早速、野営地の、新潟大学農学部の松林に設営しました。夕闇迫るころ、
松林の中の大営火が点火、開会式が行われました。
今回の大会は前回を遙かに上回る、1200名もの参加があり、スカウトたちは、
多彩なプログラムに挑戦していました。4日の午前中は新潟市街のパレード、
午後は白山グランドでゲーム大会、会津隊は樽神輿競争で優勝しました。
夜は大営火が行われ、会津隊は白虎隊の剣舞を演じました。
5日は、前代未聞の海上移動、スカウトたちは新潟港の中央埠頭から、
海上自衛隊の護衛艦など5隻に乗船、佐渡の両津港に入港しました。
キャンプ・サイトで直ちに設営を始め、夕餉の仕度にかかりました。
夜は住吉海岸で仮装大会を楽しみました。
6日は佐渡観光には参加しないで、自衛艦によるプログラムに参加、
自衛艦内の見学や、両津港の湾内の景観を楽しみました。下船したあとは、
住吉海岸で海水浴を楽しみ、夜は大営火に参加しました。
最終日の7日は早朝から撤営、朝食のあと、両津中学校までパレードをして、
閉会式が行われました。そして、再び自衛艦で新潟港に移動して、
新潟駅から帰途につき、午後八時半ごろ会津若松に到着しました。
富士野営から北信越大会まで、ハチスは会津隊として一緒に行動しましたが、
このあとハチスは、8月10日から14日まで、猪苗代町湖畔の青松ヶ浜で、
隊の夏季キャンプを実施したのです。
ハチスの全盛期とはいえ、今では考えられないような活動をしていました。
平成30年3月1日
ハチス団委員 赤城良一
第2回北信越大会・ 自衛艦にて 第2回北信越大会・ゲームで優勝
第2回北信越大会・会津隊 第2回北信越大会・佐渡両津海岸
第2回北信越大会・新潟市内行進 第2回北信越大会・両津市内パレード