西蓮寺本堂の絵
今日はBPの誕生日、世界友情の日でもあります。ところで、
団本部の西蓮寺の本堂に、一枚の油絵が掲げられています。
西蓮寺の檀家で、大東亜戦争で特別攻撃隊員として戦死した、
長谷川信さんの雄姿です。
長谷川信さんは、昭和15年3月、会津中学校(現会津高等学校)を卒業、
志願して航空隊に入隊し、戦争末期に特別攻撃隊として出陣、
そのまま、帰らぬ人となった方です。世界友情の日
長谷川信さんは、中学生時代、端艇部(ボート部)に入部して、
猪苗代湖畔の十六橋の艇庫(ボート倉庫)で合宿しながら、
身体を鍛えていたのです。いま、その合宿所は中田浜に移転されましたが、
十六橋の近くに、端艇部の記念碑が建てられています。
私たちは、会津中学校4年生のとき終戦を迎え、翌、昭和21年3月に、
一部の生徒が52回卒業生として卒業、残っ者は翌年に、
53回卒業生として卒業しました。
卒業は1年違いでも、入学は昭和17年の同期入学の仲なので、卒業後は、
会中五三会として、これまで友情を深めてきました。
長谷川信さんの弟の明君と、信さんの絵を描いた武藤忠春君も、
同じ会中五三会の同級生です。
平成17年の同級会で、「飯盛山の洞門くぐりをやろう」となり、
参加者全員で十六橋まで行って、昔の端艇部の艇庫跡まで行きました。
そこには、端艇部の記念碑があり、橋を渡った所には長谷川信さんの、
慰霊碑がありましたので、心をこめてお参りをしました。
夜は東山のパークホテルで懇親会、洞門くぐりや端艇部の思い出と、
長谷川信先輩の話題に花が咲きました。このとき、武藤忠春君が、
長谷川明君から信さんの遺影をお借りして、
肖像画を書きたいと申し出たのです。
こうして、翌、平成18年に東山温泉・向滝旅館で行われた同級会に、
武藤忠春君は、完成した長谷川信さんの特攻隊姿の絵を持参し、
長谷川明君に贈呈したのです。
武藤忠春君は中学校時代から、絵や模型造りの趣味があり、
中学校長を退職した後も、絵画の制作、模型の作成に没頭していました。
特に模型造りは、その道の有名人で、航空母艦「瑞鶴」や、
重巡洋艦「利根」などの、100分の1の大型模型を制作していました。
これらの模型は、現在、東京の品川にある「船の科学館」に展示してあります。
長谷川信さんの肖像画は、お顔は遺影を元に描かれましたが、
飛行服や特攻機は武藤忠春君の創作です。
武藤忠春君は、残念ながら、平成26年5月に逝去され、長谷川明君も、
翌年の平成27年6月17日に福島市で逝去されました。
特に親しかった友人でしたので、私も告別式に出席しましたが、
その時の導師は、ハチスの副団委員長の秋月慧さんだったのです。
肖像画は長谷川家に掲げられていましたが、ご存じの通り、今は、
西蓮寺の本堂に掲げられ、私たちに戦争のことを教えているのです。
平成30年2月22日
ハチス団委員 赤城良一
会津高等学校端艇部の記念碑 航空母艦「瑞鶴」
重巡洋艦「利根」 長谷川信さんの慰霊碑の前
飯盛山の洞門から出る会員 飛行平兵姿の長谷川信さんの肖像画右下に遺影
武藤忠春君(左)と長谷川明君