ハチス 思い出話(54)

第1回東北実修所

昭和32年7月26日から31日までの6日間、福島市のつつじが森で、
第1回東北地方指導者実修所が開設されました。
所長は仙台市の小野平八郎氏、
隊長は相馬市の福島第1団の吉田重成氏、
私と福島第1団の佐々木清治君は、
副長として奉仕しました。

この実修所には、ハチスから石井久雄君、星洋一君、
東京から遠藤蓁君が入所しました。その他、福島第15団の沖井道雄団委員長、
現福島連盟副理事長国馬善郎氏、神奈川連盟からは、
ゴールデン・アックス・トレーニングの指導者稲葉睦美氏など、
錚々たる指導者が入所しました。異色だったのは、デンジーと呼ばれている、
那須野営場長の古田伝一氏も入所していました。

小野平八郎所長は大学教授でしたが、仙台のズーズー弁で、
木と木の間にロープを張り、模造紙に書いたチャートをぶら下げて、
独特のスタイルで講義を進めていました。

小野所長は、三木トリローが作曲した歌が好きだったようで、
研修中いろいろなトリロー節が取り上げられました。
私はソング指導が担当でしたので、所長から楽譜を渡され、
暇を見つけては一所懸命に練習していました。
歌は「サンサンサン」、「焚火かこんで」など、良い歌がありました。

また、日本連盟から、ソング「みちのくの」を作詞された吉川哲雄先生が、
特別講師としてお出でになり、修験道のお話をされ、深い感銘を受けました

研修内容も豊富なプログラムで展開され、朝の点検では、健康状態の確認から、
サイトの整理整頓の評価まで、厳しく行われました。手旗や救急法は、
一人一人が実修し、縛材法では、班ごとに撥ね上げ橋やモンキー・ブリッジ、
簡易架橋を製作しました。

炊事では、キャンプ・サイトの池に放たれた鯉を、手掴みで捕らえるゲームで、
その鯉を調理して食べるという課題もありました。

一泊ハイキングでは、途中に幾つかの関所があり、変装した人物の観察や、
キムス・ゲーム、泥道に残った足跡の型を、石膏で採取する作業もありました。
そして、班員が1枚ずつ描いたスケッチを、横に並べてつなぐ、
パノラマ・スケッチにも苦労していました。

ハイキングが終わったあと講評が行われ、遠藤君が属するのへび班が優勝、
班長の国馬君には、野菜で造った頸飾り勲章が授与されました。

この実修所が開設されたキャンプ場は、福島市田澤つつじが森にある、
福島愛育園の施設で、福島連盟でも各種研修所や訓練会に利用していました。

当時の園長は、ボーイスカウト福島連盟の、事務局長や理事長を歴任された、
故宮崎義宣先生でした。

福島愛育園は、喜多方の旧熱塩村の出身の瓜生岩子が、明治23年に
貧しい子どもたちを救うため、福島に福島救育所を設立したのが始まりです。
瓜生岩子は、戊辰戦争の激しい戦の中で、傷ついた人々を敵 味方の区別なく、
看護に当たっていました。この熱心な救済活動から、
日本のナイチンゲールと呼ばれていました。

その後も、若松、喜多方、坂下などに育児会を設置し、
東京に出てから後藤新平と出会い、台湾の救養活動にも活躍しました。
そうした功労から、明治29年には、女性で初めての藍綬褒章を受章しました。

平成30年2月3日
  ハチス団委員 赤城良一