平成時代のハチス
前回は平成元年の出来ごとについて述べましたが、今回は、
私の個人のことも含めて、「平成」の時代を振り返って見たいと思います。
昭和天皇が崩御されて「平成」という時代になったとき、私は、
勿来工業高等学校長として、いわき市植田町の校長公舎に住んでいました。
会津若松とは遠く離れており、ハチスの活動には参加できませんでした。
平成元年は校長としての務めを続け、平成2年3月28日に福島県庁に行き、
退職校長辞令交付式に出席し、無事、教員生活に終止符を打ちました。
そして、31日に校長公舎から、現在の慶山の我が家に帰りました。当時私は、
福島連盟副理事長を勤めており、7月には日本連盟の制度委員に就任しました
平成2年のハチスの夏期キャンプは、会津美里町高田の蓋沼公園で実施、
私も久しぶりに全期間参加しました。8月19日には、福島市あづま公園で、
カブラリ-とスカウト技能大会が実施されました。
平成3年2月、いわき市の新舞子ハイツで開催された福島連盟総会で、
宮崎善宣理事長が辞意を表明され、委員会で私を後継理事長に選任され、
4月1日から、私が福島連盟理事長に就任することになりました。
平成3年4月から福島県県青少年育成県民会議専門指導員に委嘱され、
追手町にある県合同庁舎の行政事務所に勤務することになりました。
任務は、会津の全市町村の役場を訪問して、青少年育成担当者と会い、
アドバイスをするのが役目でした。平成3年の隊キャンプは、
田島町の野外活動センターで実施しました。
平成4年度の全国会議は、沖縄県那覇市で開催されたので、仙台空港から、
福島連盟の参加者と一緒に妻と共に出席しました。
平成4年8月、西郷村布引高原で、福島連盟キャンポリーが行われ、
神奈川連盟の稲葉睦美氏が、スカウトを引き連れて参加してくれました。
4年11月には、待望の「ハチスの巣」が完成、祝賀会を実施しました。
平成5年5月、広島の広島国際会議場で行われた、日本連盟年次全国会議で、
議長を務めました。この会議では、ボーイスカウト活動への、
女子の加入問題が活発に行われました。
6年8月は、大分県久住高原で行われた第11回日本ジャンボリーに参加、
第2サブキャンプ副野営長を務めました。このとき福島連盟派遣団は、
貸切り列車で、片道27時間かけて参加しました。
7年3月、福島県青少年育成県民会議青少年育成専門指導員を退任、
7年12月、秋月鏡観先生が逝去され、告別式で弔辞を奉読しました。
8年4月、私に藍綬褒章授与の発表があり、5月に東京の如水会館で伝達され、
市内の白鳥会館で祝賀会を開催していただきました。
8年7月、日本連盟機構改革特別委員会委員に就任しました。
8年8月、天神浜の第一回野営大会記念碑が老朽化したため、
新たに石造りの記念碑を建立、除幕式が行われました。
平成9年、世界のスカウト運動は90周年を迎え、日本連盟も、
創立75周年を迎えました。記念事業として「自転車友情リレー」が実施され、
福島連盟は、福島-猪苗代-会津若松-矢吹-石川ー矢祭をリレーしました。
ハチスのスカウトは、会津風雅堂を出発、矢吹町までサイクリングしました。
10年8月、秋田県森吉山麓で開催された、第12回日本ジャンボリーに参加、
第2SC副野営長を務めました。10年10月、ハチスが創立50周年を迎え、
サンピア会津で記念式典を挙行、佐藤栄佐久福島連盟長も出席され、
祝辞をいただきました。OBスカウトや友団の指導者も参加して、
祝宴も盛大に賑やか実施しました。
11年3月、韓国で、日韓中高生交流促進事業が行われることになり、
小渕恵三総理大臣が韓国を訪問して、開始行事に出席することになりました。
それに、日本の青少年代表4名が出席することになり、その一人に、
ハチスのベンチャー隊古田直之が選ばれました。古田君は、
小渕総理が登場する政府専用機に同乗して参加、交流の任務を果たしました。
11年8月、沼尻スキー場で、第12回福島連盟野営大会を開催しました。
日韓交流事業の一環として韓国スカウト隊も参加、活発な活動が行われました。
11年11月、県青少年会館で、福島連盟創立50周年式典を挙行しました。
13年4月、ボーイスカウト福島連盟理事長を退任し、同時に副連盟長に就任、
福島県青少年育成県民会議理事は退任しました。
14年8月、大阪市の舞洲で、第13回日本ジャンボリーが開催されました。
今回は緑豊かな大自然でなく、人工的な都市型ジャンボリーで、
私にとって最後のジャンボリー参加となりました。
18年4月、瑞宝小綬章授与の発表があり、東京の国立劇場で受章しました。
そして、6月、サンパレス会津で受章祝賀会を開催していただきました。
19年8月、猪苗代湖畔天神浜で、第14回福島県野営大会が開催されました。
20年10月、ハチスが創立60周年を迎えたので、御宿東鳳でハチスOB会を開催、
僅か12名の集いでしたが、ソングを歌いまくり、楽しい一夜を過ごしました。
24年11月、磐梯青少年交流の家で全国スカウトフォーラムが開催され、
寒空の天神浜で、私から第1回全国野営について、講話をしました。
25年2月、新潟連盟からの依頼で、弥彦文化会館で行われた指導者集会に出席、
新潟連盟創成期の様子をお話しました。新潟連盟では当時の指導者が他界され、
当時のことを語る先達が居ないので、私に白羽の矢が立ったというのです。
26年12月、長い間、車椅子の生活をしながら、福島連盟の理事などを務めた、
石井久雄君が逝去され、27年1月4日に、秋月亨観団委員長により、
告別式が行われました。直後の27年2月、その秋月亨観団委員長が逝去され、
3月28日に本葬が行われました。
30年8月、鏡観先生の奥様の、秋月恭子さんが逝去されました。
ざっと「平成」のボーイスカウト活動を述べてきましたが、あと10日間で、
「平成」の時代は終了します。この「思い出話」も、丁度100話となりました。
「令和」の時代になりましたら、今度は視野を拡げて、
新しい思い出話」を述べたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
平成31年4月20日
ハチス団委員 赤城良一
ハチス夏季野営・会津高田町蓋沼公園 沖縄・ひめゆりパーク・メインゲート
日本連盟全国会議・広島市・議長を務める 全国野営の地記念碑建立・理事長とコミッショナー
75周年自転車リレー・県立博物館 圭一君にウッドバッチ授与・理事会
福島県野営大会・韓国スカウトと 第13回日本ジャンボリー会津隊
ハチスOB会・ホテル東鳳