ばんだい隼訓練
私は、かねてからスカウト運動を充実発展させるには、シニア活動の活性化が、
最も重要と考えていました。しかし、ボーイからシニア上進するとき、
どこの団でも、高校受験を理由に退団する傾向がありました。
これを防止するには、シニア・スカウティングが、いかに魅力的であるかを、
実体験させることが重要と考えていました。しかし、それぞれの団が、
単独でシニア・スカウトを育成するのは、難しい状況にありました。
そこで、福島連盟として、ボーイから上進するスカウトを集め、
隼章の取得を目指す隼訓練会を開設して、シニア活動には、
ボーイの活動とは違う面白さがあることを、体験させることを考えました。
昭和52年4月17日、訓練会の実施場所の選定と、訓練内容の検討をするため、
裏磐梯早稲沢のえんどう荘という民宿で、実行委員会を行いました。
会議の最中、近所の人が、熊を3頭獲ってきたと教えてくれたので、
会議を中断して見に行きました。檜原湖にはまだ氷が張っていて、
早稲沢の集落にも残雪が積もっていました。
民宿の裏庭に行ってみると、残雪の上に、母熊と子熊二匹が並べられて、
区長さんらしい方の指示で、熊の解剖が始まっていました。
若い人にてきぱきと指示をして、熊の胆などを丁寧に切り取っていました。
あとで熊汁をご馳走になるという余祿がありました。
この会議で、8月6日から10日まで、第1回ばんだい隼訓練を、
猪苗代湖畔天神浜で開設することを決定、所長には私が担当することになり、
隊長には滝沢市郎氏にお願いすることになりました。
当日、県内各団から25名のスカウトが集まり、各地区のシニア指導者が、
スタッフとして奉仕し、プログラムが展開されました。
6日、開所式のあと設営、7日は、山崎博文氏の水難救助訓練、筏造り、
夜は佐藤利三郎先生の夜話を拝聴しました。
8日は1泊ハイク、朝から雨となりました。裏磐梯までバスで行き、
猫魔岳から雄国沼、途中で1泊して帰営、その後は自由行動としました。
19日は最終日、全員でのミーティングを行ない、閉講式を実施しました。
7日の佐藤利三郎先生の夜話は、戦時中、陸軍将校として、
千島列島の守備に当たったときの体験談や、BS運動に対する思いを、
しみじみと語られ、参加したスカウトたちに深い感銘を与えました。
その後、ばんだい隼訓練は毎年開催され、シニア活動の活性化に繋がりました。
ここで、おまけのお話を一つ。
布施明が歌う「シクラメンのかほり」は、シンガーソングライター・
小椋佳の作詞・作曲ですが、大学3年生の時に早稲沢に2ヶ月間滞在したとき、
殆どの家が「小椋」姓だったので、芸名を「小椋」としたと言っています。
令和元年8月12日
ハチス団委員 赤城良一
ばんだい隼訓練・いかだ造り
ばんだい隼訓練・ミーティング ばんだい隼訓練・参加者